「当時の担当部長が、見える化を徹底的にやる人だった。水素と酸素を反応させて電気をつくると、簡単に言うけれども、そこにはいろいろなシステムが介在するので、とても大変だった。そこでそのシステムがどこまでできているかを見える化した。大変に複雑なシステムだったが、見える化したおかげで、非常に短い期間で質の高い開発ができました」

実際、当初は開発に5年かける予定だった燃料電池車も、3年で完成させることができた。「あのときも猛烈なスピードで開発したんですけれど、あの経験が今回、非常に生きています」と、門田は振り返る。

ゴーンの存在も、門田のプロジェクトの進め方に大きな影響を与えた。門田の言葉を借りれば、ゴーンが日産に来る前と来た後では、日産の意思決定のあり方は大きく変わった。

「90年代の日産というのは、会社の中の意思決定をするときに、色で例えると、赤でもない、緑でもない、黄色でもないと、いろいろな議論が出てきて、結局、何色に決まったかわからない組織だった。これに対してゴーンさんの決め方は、それぞれの部署に好きなことを言わせて、最後に『オレは黄色がよいと思っているが、緑の部分も素晴らしいところがあるので20%は入れろ』という感じ。日産は極めて明快な意思決定ができる会社になった」

決断のスピードを速くして方向感をいち早く打ち出し、チームが動きやすい環境をつくる。見える化によって、自分たちが抱えている課題を明らかにすることで、次に何をなすべきか各人が問題意識を共有する。そして、わくわくするような情報も次々に注入して、開発部隊の心を揺さぶる。

「ゴーンさんは意思決定の仕方とその伝え方が素晴らしい。決断の経緯がわかれば説得力が生まれる」と、門田は言う。

門田が指揮したリーフの開発は、経営危機を経て、真の意味でのグローバル企業として生まれ変わりつつある日産を象徴している。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(小原孝博=撮影)
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