日産では新車開発の責任者を「CVE」(Chief Vehicle Engineer=車両開発主管)と呼ぶ。門田は07年の秋にリーフのCVEとして指名されると、開発担当の山下光彦副社長から「EVをどのような組織で開発するか、1週間くらいで持ってこい」と命じられた。門田が提案を持っていくと、山下副社長は居並ぶ役員に対して「みんな“門田さん”の言う通りにやるように」と、言い渡した。門田は自身が思い描くチームを編成する権利を手に入れると同時に、日産のリーフにかける思いも強く感じることになったのである。
新車の開発は、通常はマトリクス組織で進められる。例えば、マーチやティーダといった車種(=プロジェクト)を縦軸として、シャーシ、車体、エンジンといった車の機能を構成する各部が、横軸となってマトリクスを構成している。
したがって、門田はリーフという新車の開発に責任を負っている一方で、開発メンバーは車体であれば車体設計部に所属し、車体設計部には、その担当部長がいるという組織になっている。そこで門田は、自身の周りに車体、モーター、バッテリーといった機能部に属する人間を集めた。これがリーフ開発のための大部屋制度だ。
狙いは「意思決定を速くすること。いちいち部長を通して、ああやって、こうやってやりとりしていると時間がかかる。もちろん担当部長とは全部相談はするが、決める権限はほぼ私が持っているので、ここで全部決めてしまう」。
一気に開発が加速した「見える化」の威力
開発部隊の浅沼勝行がこう言う。
「門田さんが判断するための材料を僕らがそろえている途中でも、もう決めようとしちゃっている。その判断が狂わないように、とにかく、ついていかなきゃいけないということで、必死になる。それくらいのスピード感がありますね」
門田はこうして意思決定が速くできる組織をつくり上げた。
プロジェクトを進める際に、門田が最も意識したのは「見える化」である。これを徹底的に行ってきた。