4月26日、「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」のシェフパティシエ、青木定治さんは、自身が開発したシードルを発売した。なぜ菓子職人が果実酒を手掛けることになったのか。その経緯と今後の展望を、ライターの鬼頭勇大さんが聞いた――。
青木定治さん
撮影=高須力
青木定治さん

世界的パティシエが日本を拠点にしたワケ

菓子の本場・フランスに拠点を置き、パティシエとして長らく世界の第一線で活動している青木定治さん(55)。コロナ禍以降は日本での活動が増えている。その一つの理由が、「国産フルーツ」だ。

国内に数あるフルーツの名産地の中で、青木さんが目を付けたのが長野県だ。もともと長野県産のリンゴを使った商品を手掛けていたが、リンゴ以外のフルーツはそこまで注目していなかった。

21歳でフランスへ修行に行った際には、日本とフランスの大きな“果物格差”に驚いたという。

「日本では見たことない果物が大量にありました。味もさることながら、豊富なフルーツを最適な加工をしてお菓子に仕立て上げていることに衝撃を受けました。『フランスではこんなお菓子を食べているのか。これは今までの舌をリセットしないと戦えないぞ』と思ったほどです」

ところが、数年前のコロナ禍のころに長野を訪れた際、そこで生産者たちと話をしながらアンズやプルーンなどを実際に食べたところ、そのレベルの高さに驚いたという。

「すぐにアンズのコンフィチュール(ジャム)をつくることを思い立ちました。このレベルの高さなら、きっとおいしい菓子が作れる。いずれ世界と戦えるものが作れるかもしれない」

即座に軽井沢の物件を抑える

そこからの青木さんの動きは速かった。

「ありがたいことに『熟しきって落ちているものを自分たちで拾うなら、好きに持って行って良いよ』といってくださって、拾うカゴなども貸していただきました。拾ったものを車にたくさん詰め込んで、東京に持ち帰りました」

しかし、拾ったものは全て完熟。東京に持ち帰るまでに、果汁が染み出て、傷んでしまう。そこで、東京まで持ち帰るのではなく、現地で物件を借りて冷凍し、東京へ配送できないかと考えた。

「山の中でもどこでも、冷凍さえできれば東京に送れる。そう考えて場所も見つけたのですが、今度は道が狭くて配送用のトラックが入ってこられず、最終的に『東京に送らず、この場所で加工するのが良いのでは』と思い付きました」

そこから探して見つけたのが、以前はフレンチレストランとして営業していたという国道沿いの物件。現在は、コンフィチュールなどを製造する工場併設の店舗、アトリエ軽井沢店となっている。

お店で販売されているコンフィチュール
撮影=高須力
お店で販売されているコンフィチュール