人口2000人台の京都の過疎村に地元食材を使ったブランディングに大成功した「道の駅」がある。代表は元役場の職員。当初は「お前に売れるもんなら売ってみろ」「公務員を辞めたら教えちゃる」と周囲の目は厳しかったが、今や特製のソフトクリームが年50万本も飛ぶように売れるなど、年商6億円超。「村で生まれて村で死ぬと決めた男」は、どのように生産者とタッグを組み、消滅危機の村を輝かせたのか。フリーランスライターの野内菜々さんが現地で取材した――。

京都の過疎の村の「道の駅」が大繁盛している理由

日本屈指の観光地「京都」。だが、これは主に府庁所在地の京都市のことを指す。同じ京都府には唯一の村があることをご存じだろうか。人口2434人の南山城村(2024年2月29日現在)。日本創成会議が発表した消滅可能性都市17位(2014年)で過疎化の一途をたどっている。

ところが、中山間地域にある小さな村が今、大きな注目を浴び、各地から車に乗ってわざわざ訪れる人が絶えない。人々の目的地は「道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村」。この春で開業8年目を迎える。業績はここ数年右肩上がりで、コロナ禍にもかかわらず2023年度の年商はついに6億円の大台を突破する。

なぜ、この消滅危機の過疎村で“偉業”を達成できたのか。それは“ド素人”経営者の存在が大きかった。村名をそのまま会社名にした南山城の社長、森本健次さん(57)。前職は、南山城村役場の職員。公務員歴30年以上、経営はおろか民間企業で働いたこともなかった。

森本健次さん
撮影=野内菜々
南山城代表取締役社長を務める森本健次さん

「地元にあるものをとことん活かす」村づくり

役場では税務課、ごみ処理施設や小学校建設などを担当した。入職して約20年が経った2010年、村長特命の「魅力あるむらづくり推進室」を任される。業務内容は、村の一大プロジェクト「道の駅整備」と移住促進、いわゆる地方創生である。

プロジェクトの重点項目のひとつに「若者が就労できる農業振興」があった。南山城村の特産品はお茶だが、農家の生業があってこそ成り立つ。若手農家を勇気づける取り組みをつくる必要があった。

「若手の茶農家を集めて意見交換を行いました。その場で『茶の売り上げアップを図るなら、(販売店などに卸すのではなく、直接、客への)小売りという方法がある、お茶を生産する以外の部分を誰かが担えばいいのでは?』と提案したんです」

しかし、すぐに厳しく突っ込まれてしまう。

「役場の人間に提案されてもなにも響けへん。まずは個人として信頼関係を築いてからやろ」
別の場では「お茶は売れない、売れるもんなら売ってみろ」とも言われた。

正論に、ぐうの音も出なかった。だが、森本さんはあきらめない。若手茶農家で構成する任意団体・南山城村茶業青年団に入団。役場の仕事を終えると懇親会などに顔を出した。酒を酌み交わし、茶農家たちの茶業への熱い思いにふれ、心の交流が芽生え始めた。

しばらくして、宇治茶で紅茶をつくる「京都南山城紅茶プロジェクト」が立ち上がる。

2011年、森本さんは東京での「地域活性化勉強会」に参加。そこで知り合った紅茶専門店代表から「宇治茶の紅茶をつくってみては?」と提案を受けた。茶農家の協力のもと、生葉10kgを送り紅茶を試作してもらう。できあがった紅茶の、すっきりとしたさわやかな味わいに驚いた。地元茶のポテンシャルの高さを確認できた。2012年2月、村の定例会見で披露。その後日の地方紙夕刊の一面に掲載され、ニュース番組にも取り上げられた。

大きな反響を受け、紅茶製造の拠点づくりがスタート。しかし、紅茶製造にかかる設備などの初期費用は助成金では足りず、発起人として森本さんが私費を投じた。その額140万円超。袋詰め作業、販売サイト制作、配送など、役場の業務時間外に「つくること」以外の作業を担った。