「森本さんが横領してるんちゃうか?」
メディアに紹介されると波及効果がある一方で、村内にはネガティブな噂が流れ始める。
「紅茶の売り上げは森本さんが横領してるんちゃうか?」
「役場の人間がなんで販売活動をしてるんや?」
背景を知らない村人からの批判の声が、役場に届くようになった。土日を返上し、私費まで投じている個人活動だ。さすがに気が重くなる。開き直らないと心が折れてしまいそうだった。
ただ、一方では茶農家からの信頼を獲得し、直々に販売などつくる以外のことを託されるようになる。森本さんは、本プロジェクトを通じて、地域商社の機能が必要だと痛感した。
「地元にあるものをどう活かし、どう売るか」
2006年に取り組んだ廃校利活用でも大きな成果をあげていたことも相まって、森本さんの中に確固たる村づくりの考え方が醸成されていく。
「おまんが腹をくくれ!」
2011年1月、村の正式な施策として「道の駅等整備に関する基本計画」の内容が固まった。その一環で住民主体のワークショップを開催したところ、住民からネガティブな意見が一気に噴き出した。
「特産品は茶と原木椎茸だけ。他に(道の駅で)何を売るのか」
「今更ハコモノを作って維持できるのか」
そして終盤、一人の茶農家が森本さんに言い放った言葉は急所をついた。
「お前がなんぼええこと言うてても、役場におったら2〜3年で異動するやろ。中途半端でなにひとつ信用でけへんし、そんなええ加減なもんに俺ら付いていかれへん」
「役場を辞めたら協力してくれるのか?」
思わず森本さんが聞くと、「辞めるんならなんぼでも協力したる」と返ってきた。道の駅をやる覚悟があるのかないのか。森本さんは自分が試されていると思った。
その後、道の駅実現のため、高知県四万十町にある「道の駅四万十とおわ」へ視察をすることに。1日の交通量わずか1000台で年商1億5000万円(外販含むと3億円 ※2010年度当時)の業績を達成していた。
視察した夜の懇親会。後に森本さんの師となる2人、「道の駅四万十とおわ」を運営する会社の代表・畦地履正さんと、サコダデザイン・迫田司さんに出会う。
「四万十とおわの成功の秘訣を教えてくれませんか?」
酒がほどよく入り酔いも回って場が打ち解けてきた頃、森本さんは切り出した。しかし、畦地さんのイライラが最高潮に達する。話せども話せども、道の駅の運営の「責任者」が誰かわからないからだ。当時の森本さんの風貌は、細身のスーツに茶髪のロン毛。何やらチャラチャラした雰囲気の公務員が道の駅担当とはとても思えなかったのだろう。
「おまんら行政職員が視察に来て、いったい何をしゆう! 俺らとおまんらは立ち位置が違う。生産者を連れてこい!」
実は最初から森本さんも気づいていた。道の駅計画そのもののゴールは見えた。しかし、誰が社長となって事業を動かすのかが見えない。煮え切らない心の内を畦地さんに打ち明けた。
「本気なら、おまんが腹をくくれ!」
「役場を辞めたら、教えてもらえるんですか?」
「ああ、教えちゃる」
森本さんは、畦地さんの目をまっすぐに見つめた。固く握りしめた拳の中は汗がじわりとにじんでいた。
俺は、道の駅をやる。覚悟を決めた瞬間だった。
村に帰り「役場を辞める」と妻に伝えた。呆れられたが、言い出したら聞かない性格だとわかっていたので渋々受け入れてくれた。翌日村長に辞表を提出、「早まるな」と突き返されたが、森本さんの心は1ミリも動かなかった。