芸術家が晩年に見せる「円熟」とかけ離れた激しい生き様が魅力
仕事にのめりこんでいると往々にして客観的にものを考えられなくなるが、読書によって知識を増やしておけば、常に自分を客体化できる眼を養えるので、そう簡単には行き詰まらなくなる。
たとえば『晩年のスタイル』。ベートーヴェンなど音楽家を中心とする芸術家たちが、積み上げてきた己のスタイルを晩年になってもなお拒絶するような激しさで貫いた様を描いている。円熟とはかけ離れ、まったく収まりがつかないような生き様だが、格好いい。世間でひとくくりにされる「晩年」は、実は他人や社会が勝手に形づくっているにすぎないのだと気づかせてくれる。『日米交換船』は、第二次大戦下、ニューヨークと横浜の港から出航した船で敵国に居留する自国民を交換しあった船を描く。当時、船に乗り合わせていた鶴見俊輔が、80歳を過ぎて「忘れないうちに」と4日にわたる座談会で初めて語った史実を基にまとめられた。鶴見氏自身のこと、交換船に乗り合わせた多様な群像との接点が語られて、戦前と戦後の歴史的な屈折点が浮かび上がってくる。『イスラーム文化』は、イスラム文化の本質をわかりやすく、歴史的な視野で語られたものだ。今、世界で起きている宗教抗争は昔から脈々と続けられていたのだと気づかされる。その戦いで今や一晩に何十万人もの命が奪われるようになってしまった現実には違和感を覚えたりもするのだが。
昭和61年に初版で買った『ザナック』も気に入っている。ザナックはトーキー映画の立役者であり、希代のハリウッドのプロデューサーである。女優を連日自室に連れ込むような男であった。実家近くに進駐軍が駐留している場所で育ったせいか、アメリカ映画に憧れていたこともあって、今読んでもザナックの常識はずれの振る舞いがどこか微笑ましく、そこに登場する映画がどれも懐かしい。
文化人類学者の川田順造の自分史『母の声、川の匂い』もいい。深川の川岸で米穀商の家に生まれた著者は、アフリカで暮らしたのち再訪した故郷深川で、隅田川やナイル川の記憶をたどる。そこに自分の未生の憧憬をも重ねて重層的に文章を綴っているが、当時の街の匂いが行間にまで溢れているようだ。
インターネットは情報源としては優れているが、社会や人間というものを長い時間軸で考えるにはやはり本である。
インターネットイニシアティブ 鈴木幸一社長が選んだ7冊
■晩年のスタイル [著]エドワード W.サイード[翻訳]大橋 洋一/岩波書店
■日米交換船 [著]鶴見俊輔ほか/新潮社
■イスラーム文化 [著]井筒俊彦/岩波書店
■ザナック [著]レナード・モズレー[翻訳]金丸 美南子/早川書房
■母の声、川の匂い [著]川田順造/筑摩書房