1948年4月11日、東京都出身。早稲田大学第二文学部演劇学科卒。落語評論家、料理評論家。国立劇場小劇場の第五次落語研究会で桂文楽 (8代目)(黒門町)の落語を体験。大学の卒業論文はそのまま『桂文楽の世界』として商業出版される。この論文は現在でも桂文楽研究の最高峰。2013年には『名人芸の黄金時代桂文楽の世界』と改題されて、中公文庫より出版される。KTVの演芸番組「花王名人劇場」ではプロデューサーを務めていた。テレビ朝日「ザ・テレビ演芸」の「飛び出せ!笑いのニュースター」コーナーでは審査員としてダウンタウンらを審査。演芸、料理に関する著書多数。
【山本】談志さんを知るには「やかん」がすごくいい。明治でも大正でもいいから当時の速記本に出てくる「やかん」と並べてみると、いかに談志のオリジナリティと独創性があるかがわかってもらえていいかなと思う。
【元木】私も好きな噺は「やかん」と「金玉医者」です。
【山本】そうです。談志の哲学があるのは「やかん」だとか「二人旅」。前座がやりそうな軽い噺ですが。もう一つ、これはすごく大事な点だと思うけれど、悪党が描けなかった人です。善人がすばらしかった。僕は、あんまり談志の「居残り佐平次」は認めない。やっぱり、志ん朝師匠のほうが、圓生師匠のほうが、悪(わる)ですよ。
談志師匠は「五貫裁き」とか「文七元結」と人情に絡んだ善人を描かせたら、こんなにすばらしいのにと思った! それが照れくさい理由の一つだと思うのです。
【元木】「黄金餅」もだめ?
【山本】いや、「黄金餅」はいいですよ。「黄金餅」は悪党を描いてるというより、人をだますという噺ではないじゃないですか。「付き馬」、「居残り佐平次」は人をだます噺だから、苦手だったと思うんです。談志師匠は、人間の持ってる性根のところの優しさだとか可愛らしさとか、そういうものを引っぱりだしてくる名人だったと思いますよ。
【元木】師匠は人情噺は嫌いだと公言し、「芝浜」は落語に非ずとまで言ってましたね。
【山本】あんなものはと言いながら、やると夢中になってやっていて、圓生師匠が「一文惜しみ」というタイトルでやってて、談志師匠が「五貫裁き」という噺でやっている。それがまた、「善人がいい噺を師匠やって下さいよ」と言ったら、「そこの登場人物が、神田の金貸しがそのまんま、まだ残ってるからやれないよ」と。それぐらい優しい人なんですよね。信じられないですよね。そういうのって、本人が言った台詞をちゃんと記憶してないとわからないじゃないですか。やっぱり優しい人だなと思います。
だから談志師匠ほど落語の中の善というものがなんであるかを知っている落語家はいない。熊さんだって八っつぁんだって、人間の業だと言いながら共同体の中で生きてる人間は、善人の部分があるじゃないですか。
「らくだ」だってなんだって悪党が悪党でなくなっていっちゃうのがいいんですもの。「らくだ」の馬さんが死んだところで丁(ちょう)の目(め)の半次っていうのが、とんでもないやつかなと思ったら、最後はすごくいいやつじゃないですか。そういうところが談志師匠の真骨頂かなと思うんですよね。
悪党を悪党のままに描ききれない人なんです。それを見誤らないほうがいい。だから世間の評価と違う人物を得意として描いていたかなと思う。
【元木】「金玉医者」は、彼のことばでいうある種のイリュージョン落語みたいなものなのでしょう。「金玉医者」はほとんど創作に近いものですね。私は、「蝦蟇の油」の口上の英語バージョンも好きなんです。
【山本】稽古したり教わっているうちに、自分が何回もリフレインを繰り返しているうちに、アイデアが出てきてしまうから噺が曲がっていってしまうんですね。それで自分のものができちゃうんじゃないですか。それはほんとに天才しか許されないと思うんだけど、そういうことがいくらでもできちゃった人ですよね。だから、みんなが軽い噺だとか前座噺だと思う噺のほうが、いろいろ変える面白さがあった。一つひとつ疑問を出していって、ほんとにこの台詞、八が言うはずがないだろうと思うと、そこで変えていくと全然展開が違ってしまうという、そういうことをやった落語家です。