談志の講談と講釈のすばらしさ

(左から)元木昌彦氏・山本益博氏

【元木】私が早稲田に入学したあたりで師匠のひとり会を紀伊国屋で聴いていますが、「三方ヶ原軍記」を聴いてびっくりした。あの滑舌の良さはすごいと。

【山本】30代、40代の、ああいう立て板に水どころじゃないくらいに流れるような、聴いていてこんなに気持ちがいいのかというほどでした。

【元木】我々の世代は、子供のころに浪曲、講談、もちろん落語も含めてしょっちゅうラジオから流れてきてました。あの講談と談志講釈とは少し違うものなんですね。あんな見事なしゃべりができる人はもういない。

【山本】「慶安太平記」「小猿七之助」とか。そういう浪花節のネタや講釈のネタは、超一級品です。

【元木】この間「鮫講釈」を聴きました。この頃こんな噺をやってくれる人がいなくなりましたね。

【山本】それともう一つ、最近つくづく思うんですけど、自分も60過ぎて、まだ落語が好きなんですけれども、落語は基本的に自分より年上の人の噺を聴くから説得されるんで、自分より若いやつがなにか言ってくれても、なんかお前そんなこというけどさ俺のほうが知ってるぜ、って言いたくなるのが落語かなぁと思うと、だんだん歳がいけばいくほど聴きたい落語家がいなくなってきちゃうんですよね。そうじゃないですか? だから僕が聴いてても笑えるのは──実際に聴いているときには笑わないけど──小三治師匠だけですよ。聴いてて、いいなあというのは。

やはり噺を聴いていると、そうかもしれないけど俺のほうが歳とってて、もっと昔から聴いてるよと(笑)。つい言いたくなっちゃうというのが、落語かなぁと思う。

吉原の噺もおんなじように、俺だって知らないしお前も知らないんだけど、そんなふうに言うけどさ、自分より年配の噺家から聴いていたほうがやはりリアリティがあるよ、というふうになってしまうと、落語というのはそこで線引きたくなっちゃうんですね。

【元木】落語が能みたいになってしまうと談志さんも心配してましたね。私はジャズが好きで今のジャズも聴くけれど、いまだにマイルスでありコルトレーンであり、そこに帰っていく。落語もDVDやCDで聴いていれば今の落語なんか聴いてもしょうがないというふうになりかねない。談志さんがこの噺を今度はどういうふうにやってくれるのかというのを、ジャズの即興演奏のような楽しみがあった。そういう人がいなくなってしまうのは残念ですね。