ロシヤの作曲家チャイコフスキーが、50代で死んだことはあまり知られていない。あの白髪の肖像画のせいで、もっと生きたように思われるが、1840年に生まれて、19世紀のうちに死んだのだ。かつて1980年代に自殺説が出て、同性愛者であることを暴くと脅されて自殺したとされていたのだが、宮澤淳一『チャイコフスキー 宿命と憧れのはざまで』(ユーラシア・ブックレット)によると、最近では再びコレラによる病死説が有力になっているという。日本で出ているチャイコフスキーの本では、なぜかこの自殺説はおろか、同性愛者であったことすら隠しているものが未だにあるが、これは事実である。チャイコフスキーは一度結婚しているが、すぐ別れて、あとはずっと独身であった。その間、メック夫人という女性から資金援助があり、夫人との間に書簡のやりとりがあって、ずいぶん勇気づけられた、というのはよく知られている。だが、その夫人との関係も、死の少し前に途絶したようである。

藝術家は苦悩の人生を送ることが多いが、19世紀ロシヤにおいて同性愛者であるということは、さぞかしつらかったろうと思われる。余談だが、もう十数年前、さる新聞に小さな記事が出た際、メック夫人の名前が「メッタ夫人」と誤植されていたことがあって、たいへん情けなく思ったこともある。

さらにチャイコフスキーがかわいそうなのは、今なお、その音楽が、クラシックの「通」の間でバカにされることがあるからである。音楽研究家とか批評家でチャイコフスキーが好きだなどと言おうものならバカにされるから、みなバルトークとかヴェーベルンとかドビュッシー、バッハやモーツァルトやベートーヴェンを論じる。「ロマン派」はバカにされるのである。いわんや民族派の軽蔑のされ方はひどいものだ。チャイコフスキーは日本で特に人気がある、などと言う人もいるが、何そんなことはない。世界的に人気がある。だが、人気があるものはバカにしたがるのがインテリである。

だが私はもちろん、チャイコフスキーが好きである。子供の頃に聴いた「くるみ割り人形」が最初だが、何といっても高校2年の時に、あの有名なメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を目当てに買ったLPの、裏面がチャイコフスキーの協奏曲で、アイザック・スターンのヴァイオリンに、ユージン・オーマンディの指揮するフィラデルフィア管弦楽団。1度目に聴いた時は、おや、何かいいな、という感じ。2度目には、これはいいと思い、3度目には、メンデルスゾーンのものよりずっといい、つまり好きになった、惚れこんだのである。これは、私が女性を好きになる時のパターンに似ている。恋をしたようなものである。

それから、交響曲や、「大序曲1812年」「イタリア奇想曲」を聴くようになった。ピアノ協奏曲は、いかにも通俗だと思ったが、ポゴレリッチの演奏で見直した。交響曲は、4番や5番が好きだが、特に第1番「冬の日の幻想」がいい。ところが、大学時代に、チャイコフスキーが好きだなどといえば、サティがどうの、ブーレーズがどうのと言う級友連にバカにされたものである。吉田秀和なども、私がクラシックの教科書のようにして読んでいた『LP300選』で、チャイコフスキーにはずいぶん冷淡なことを書いていた。宮澤淳一などは、例外的だ。

文学者の場合、同性愛者だと、その味が作品にも出るものだが、チャイコフスキーの曲には、一向に同性愛者の匂いがしない。むしろシューベルトの歌曲などのほうが、同性愛者的に聴こえるほどである。しかし、批評家が何と言おうと、チャイコフスキーは人々に愛されている。