批判を集めた川勝知事が突然の辞任
静岡県の川勝平太知事が、辞職する。
4月1日の静岡県新規採用職員への訓示内容に対して、職業差別だとの批判を浴び、翌日の夕方に突然、6月議会の終了をもっての辞意を明らかにした。
そのまた翌日の記者会見では、「リニア問題は大きな区切りを迎えた」と、その理由を明らかにしたものの、その1週間後の4月10日、辞職願を県議会議長に提出した。
辞職の理由も時期も二転三転する姿勢はもとより、リニア問題への対応、さらには、かねての失言への批判が高まっている。
川勝平太氏は、15年前に静岡県知事に当選するまでは、経済史の研究者だった。
代表作『文明の海洋史観』(中公文庫)は、陸地だけを考える歴史の見方を批判し、「海洋をとりこんだ歴史観」(同書、154ページ)を示し、読売新聞主催の読売論壇賞を受けた。『経済史入門』(日経文庫)は、200ページほどの短い新書サイズの教科書ながら、大きな枠組みで経済の動きをとらえて、定評があった。
日本を代表する経済学者から政治の道へ
早稲田大学政治経済学部を卒業し、英国オックスフォード大学で博士号を取得したのち、母校である早稲田大学で教授を務め、静岡文化芸術大学学長を歴任している。学者だけではなく、組織のトップとしての手腕を期待されて、静岡県の石川嘉延・前知事のブレーンを経て、15年前に知事選に当選したのである。
とはいえ、偉い学者先生の看板(だけ)で静岡県知事になったわけではないだろう。
初当選時の2009年は、自民党から民主党への政権交代が大きなうねりとなっていた。7月5日に投開票された静岡県知事選は、翌月の総選挙の前哨戦だった。当初は、自民党から立候補の要請を受けた川勝氏は、民主党からの全面バックアップもあって接戦を制する。
初めは勢いに乗った部分があったものの、その後は3回の選挙に危なげなく勝利している。東は熱海市から西は愛知県の手前の湖西市まで、広く、地域色に富む静岡県全域から幅広い支持を15年にもわたって集めた背景には、何があったのだろう。
その理由は、川勝知事の、学者としての栄光から、政治家としての挫折にも通じるのではないか。