川勝氏と蒲島氏の明暗を分けたもの

政治学者、それも選挙を専門とする学者として「バッファー・プレイヤー仮説」は、川勝氏の「文明の海洋史観」ほどではないものの、学界では広く知られている。「基本的に自民党の政権担当能力を支持しているが、政局は与野党伯仲がよいと考えて投票する有権者(*)」と、教え子の森裕城・同志社大学教授がまとめるように、鋭い分析は、自分の政治家としての戦術に大きくプラスになったに違いない。

ただ、珍しい経歴は、注目されたものの、選挙に勝つ秘訣にはなりえない。

静岡県庁
静岡県庁(写真=Akahito Yamabe/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

蒲島氏は、川勝氏とは異なり失言はなく、着実に災害からの復興を進め、ゆるキャラを用いた広報活動を展開してきた。なるほど県民に愛される要素に満ちている、「だから」当選を重ねてきた、そう考えるのが妥当なのかもしれない。

しかし、川勝氏と蒲島氏は、学者「なのに」失言が多かったり、あるいは、行政手腕に長けたりしたわけではない。

学者「だから」、そう見えてきたのではないか。そこにこそ、川勝氏が長きにわたって得票を集めてきた要因があり、栄誉(学者)から転落(政治家)という経路をたどった原因があるのではないか。

*森裕城『日本の政治過程 選挙・政党・利益団体研究編』(木鐸社、2022年)100ページ

なぜ「失言」「リニア問題」でも支持されたのか

ひとくちに「学者」といっても、哲学から医学まで幅は広い。朝から晩まで、盆も正月もなくずっと実験室に篭っている科学者もいれば、ほとんど研究室には寄り付かず、山奥や海にフィールドワークに出ずっぱりの人もいる。

歴史家、それも川勝氏のようにダイナミックというか、大風呂敷を広げるタイプの学者は、基本は本や資料を読み込み、そこから頭の中で地図を描いていく。先に挙げた『文明の海洋史観』は、その典型であり、だからこそ、わざわざ同書の「文庫版へのあとがき」で、知事就任以降の「現場主義」を強調しているのである。

知事を「知につかえる」と位置づける川勝氏にとっては、書庫や資料室で文字と睨めっこしている日々をもとに、初当選から7年余りで2000箇所以上も県内各地をまわったのは誇りであり、「職業としての学問」と「職業としての政治」を両立するベースだったと述べている(*)

まさにここに、学者「だから」川勝氏が知事になり、連続当選してきたポイントがあるのではないか。

*川勝平太「文庫版へのあとがき」『文明の海洋史観』(中公文庫、2016年)323ページ