映画監督だった夫の後を継いで監督デビューしたのは64歳の時だった。その後10の作品を世に送り出してきた。活動の原点にあるのは女性が自立することを想像すらできなかった、幼い頃の記憶。連載「Over80 50年働いてきました」14人目は国内最高齢の女性映画監督、山田火砂子さん――。
今も「現場で一番大きい声を出している」
国内最高齢の現役女性映画監督、山田火砂子さん(92歳)は、週3回人工透析の通院を続けながらメガホンを取り、2024年2月に新作『わたしのかあさん―天使の詩―』を完成させた。移動の際は車椅子を使うものの、撮影現場では大きな声で指示を出す。事務所のスタッフは「寺島しのぶさんが『現場で一番大きい声を出しているのが山田監督ですね』と驚いていました」と振り返る。
原点になった戦中、戦後の記憶
彼女の映画づくりの原点には、女性が自立することを想像すらできなかった幼い頃の記憶がある。
山田さんが東京府豊多摩郡落合村(現在の新宿区)で生まれたのは1932年(昭和7年)、満州事変の翌年だ。幼い頃から少女時代にかけての記憶は、戦争とともにある。
「小学校1年の時に、床屋のみよちゃんが疎開していった。埼玉だったか栃木だったか……。泣きながら別れたのを覚えてる」
13歳の時には、山の手大空襲を経験した。何百機ものB29が空を覆い、焼夷弾によってあたり一面が火の海になった。川の近くまで逃げ、水に濡らした布団をかぶってなんとか命拾いしたものの、当時の恐怖心はいまも消えない。「花火なんて見ないよ。あれ見ると、思い出しちゃうからね」
敗戦後は、誰もが必死で生きていた。NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」にも登場した「パンパン」と呼ばれていた女性たちも見かけたことがあったが、「映画やドラマとは全然違う」と話す。
「自分の身を捨てても親やきょうだいを助けてやろうと、死に物狂いで生きていた女性たち。刺青を入れて、おっかなかった。じろじろ眺めたら殴られちゃうような感じだったよ」