100歳の現役美容部員
福島県福島市、吾妻連峰を仰ぐ郊外の集落には前日の雪がまだ残っていた。
「ごめんねー。掃いてなくてー」
ご自宅に伺うと、玄関から突然、大きな声がこちらに向けられた。声量も声の張りも、100歳の声とはとても思えない。足腰もしっかりとし、杖も使わずにスタスタ歩く。“100歳”に抱いていた先入観が崩れていく。
堀野さんは関東大震災が起きた1923年に生まれ、今年の誕生日で101歳になる。
現在も化粧品大手「ポーラ」のビューティーディレクターとして週に1〜2回、7キロ先の事業所にバスとタクシーを使い通勤するほか、お客さんへ新製品の案内や肌悩みのヒアリングを行う、現役の販売員だ。
84歳で累計売上1億を達成し、99歳で勤続60年の表彰、そして昨年8月には最高齢の女性ビューティーアドバイザーとして、ギネス世界記録に認定されるなど、その活躍は年とともに広がるばかり。今も最低月に一度はメディアが来て堀野さんを取材していくそうだ。その度、あまりの元気さにどの人も「本当に100歳?」と驚くという。
職業柄か、顔には隙のないきれいなメイクが施されている。ピンク色のチークがよく似合っていて、可愛らしくチャーミングな雰囲気だ。
福島の空がB29で真っ黒に
堀野さんは福島市北部の飯坂温泉で、郵便局長の父と専業主婦の母との長女として生まれた。下には4人の弟と妹が生まれ、堀野さんは長女として小さな頃からよく面倒を見ていたという。
女学校は、腕に職をつけるために家政女学校を選んだ。母が裁縫の内職をして子沢山の家計を支える姿を見て、自分も洋裁や和裁、編み物などを基礎から学びたいと思ったのだ。学年の浴衣縫い競争ではトップ、堀野さんが縫ったワンピースや日本刺繍などが展覧会に展示され、見事な才能を発揮した。
卒業後は、福島市にある電電公社に就職。ちょうど、太平洋戦争が始まった年だった。戦争末期には、福島の空がB29で真っ黒になることもあった。
「警戒警報が鳴ると、みんなが防空壕に走るのだけど。うちの母は病気で寝ていて、母に『防空壕に行こう』と言ったら、『私はいいから、あんたたちだけ行きなさい』と、死ぬのを覚悟したみたいに言って。いつも、何ともいえない気持ちで防空壕に入っていたのは、今も心に残ってる」