「不同意性交罪」の危うさ
近頃、「不同意性交罪」の話題がSNSでも活発に議論されている。
「不同意性交罪」の容疑で逮捕される事件がメディアで相次いで報じられているのがその原因だろう。皆さんもいくつかの事件をもうすでに見たかもしれないが、その容疑者のなかには性交があったこと自体を否定している者、あるいは、「同意があった」といった供述をしている者などもいる。
実際にこの罪状の事件が世の中で顕在化するようになってようやく、この法律の持つ「危うさ」に気づいた人が増えてきたようにも見える。
念のため断っておくが、いま現在世の中で発生している「不同意性交罪」の事件すべてが虚偽や冤罪であると主張したいわけではない。しかしそれとは別に、やはり一般論として「不同意性交罪」には制度的・運用的な欠陥があると言わざるを得ないだろう。
たとえばの話だが、ともに成人を迎えた親密な関係の男女が遊ぶ目的で会い、その流れでホテル(通常の宿泊目的でないほうのホテルのこと)に同意のもとで宿泊したならば、それを外形的に「同意があった」と見なしても、一般常識からすればその認識にさほどの飛躍はないだろう。かれらがホテルに入って行為に及んださいに交わした同意がどの程度まで「本意」であったかを、あとから他人がその心情を正確にジャッジすることなど原理的に不可能である。
「同意があった」を立証するのはきわめて困難
よって、現状の不同意性交罪の運用では事実上、同意を結んだはずの一方(主として女性)が「あれは同意ではなかった」といえば事後的・遡及的に「罪」をつくってしまえることになり、逆にいえば同意がなかったことを主張する女性の申し立てに反論する形で「同意があった」と立証するのは(そもそも不同意性交罪それ自体が当事者の心情や状態に依拠している以上)きわめて困難であると言わざるを得ない。
不同意性交罪についてSNS上の意見を観測すると「嫌なら最初から断ればよかったのだ」とか「かくなる上は性的同意書を取るしかない」といった意見がみられた。なかには「ホテルに入室するには『これから性行為に及ぶことに合意しますか?』という最終意思確認ボタンを両者が押さなければ開錠できないようなシステムを作ってしまえばよい」という斬新な意見もあった。