「女性にアプローチすること」はリスクが大きすぎる

だが「女性が待つ側、男性がアプローチする側」という形で落ち着いた男女の性的関係の均衡は、現代社会の価値観や倫理観と真正面からコンフリクトを起こしてしまっている。

「女性を不快な気持ちにさせてはならない」という不文律的な倫理的コードが先鋭化しており、男性が女性に対して性的アプローチで不快な思いをさせてしまうことは、ただ不快なだけでなく、場合によってはなんらかのハラスメントとして非難されてしまうこともある。

かりに当時はそのアプローチが好意的に受容され良好な関係を築けていたとしても、後々に関係が悪化してしまったときには、これまで述べてきたように「いま思えばあれは不快だった、性加害だった」などと事後的にその評価を180度ひっくり返されてしまい、性交渉の場合には刑事責任を問われることもありえる。

いまどきの若い男性にとっては、たとえ気になる女性がいたとしても、その女性にアプローチすることで自身の身には「女性と仲良くなれる可能性」と「社会的・法的リスクが生じる可能性」が不可避的に生じ、両者を天秤にかけたとき、どうしても後者の懸念が重くなってしまい、合理的な損得勘定の結果として断念してしまう人が増えているということだ。

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女性は“待ち”に徹し、男性は“及び腰”になる

かつては「草食男子(草食化)」などと呼んでいた時期もあったが、現在はもっと深刻だ。男性はもう肉はおろか草にも手を出すことができない、いわば「絶食男子」になりつつあるからだ。本心では草はもちろん肉だって食べたいが、肉を食べようとすることの「ただしくなさ」や「リスク」が高まりすぎて、手が出なくなってしまったのである。

女性は意思決定コストを引き受けたがらず“待ち”に徹し、男性は恋愛や性交渉にビルトインされた加害性や法的リスクに怯えて“及び腰”になる――男女どちらもがお互いの距離を詰める役割をすることにともなう「重さ」や「代償」を嫌がり、男女の距離はずっと遠いままになっている。こうしていまの若い男女の関係は“均衡”から“膠着こうちゃく”へとその状況を変化させてしまい、それが全体として「若者の恋愛離れ」という形で世の中に顕在化している。