この膠着状態を破るには、女性が動くしかない
男性側が倫理的なためらいによって動けなくなってしまった現状を打開するには、「女性が主導権をもって、能動的・主体的にグイグイ行く」しかないだろう。
実際のところ、いまどきの男性は女性から「グイグイ」とまではいかずとも、お互いの距離を縮める最初の一手だけでも女性側がリードして「きっかけづくり」をしてくれれば、その後はわりと安心してパートナーシップ形成に積極的な態度を見せるようになる余地は十分にある。女性側から「男性の性的アプローチにともなう加害性」を恐れない姿勢を見せることで、男性は「この人ならこちらから距離を近づけても、それを“加害”とか“ハラスメント”と取られる心配は少なそうだ」と感じられるからだ。
男性にとって、恋愛をすること、結婚することはおろか、女性と接点を持つことすらそのリスクがあまりにも高くなりすぎて「そこまでしてやるほどのものではないだろう」というペシミスティックな雰囲気が拡大している。報道機関によって「不同意性交で逮捕」のニュースが報じられるたび男性は震えあがり、女性とラブホテルに行くことより男性同士でバーベキューをしたり、VTuberを推したりすることに時間や労力を費やすようになる。
恋愛離れの背景には「男性と女性の相互不信」がある
男性側に男女関係の主導的役割――意思決定のコストや結果責任のリスク――を負わせ、そればかりか不首尾に終わった性的関係は女性の気持ちひとつで社会的・民事的・刑事的に報復する根拠にできてしまい、さらには夫婦関係が瓦解したときは男性側は子どもの親権をほとんど取れないといった、男性にとってあまりにも不利なバランスが世の男性たちにはひろく周知されてしまっている。不同意性交罪は男性にとって「女性とのかかわり=リスク」という世界観を強めるダメ押しの一手になってしまった。
男性がこれまでやってきたような「主導的立場」をいきなり女性がすべてやるべきだとまでは言わないまでも、恋愛や結婚の持つリスクやデメリットを緩和してあげるような歩み寄りの姿勢を持つことが、巡り巡って女性の幸福にもつながるだろう。
近ごろの妙齢男女に蔓延する“恋愛離れ”は「男性と女性の相互不信」がその根底にある。この相互不信は男性のリスク回避志向を加速化させており、「男性が再び女性への信頼を取り戻し恋愛市場に舞い戻る」というシナリオをいくら待っていても、その実現可能性はきわめて怪しくなっている。
この国の出生は婚姻を前提にしている。婚姻は恋愛を前提にしている。そうである以上、恋愛や性的関係にまつわるリスクが高まる問題は、ある面ではまったく個人的な問題であるが、しかし同時にこの国で生きるすべての人にとって他人事では済まされない社会的・政治的な問題でもある。
本当に男と女のかかわりを「丁寧に」「難しく」していくことが望ましい未来をつくるのか、だれもが考える必要があるだろう。