もう一冊、本とのつきあいで大きな転機となったのは、研究所長から本社の総合企画室長へ異動になったときだ。研究者から経営者になるべく、それまで自分が研究で使ってきた段ボール箱約20個分の発酵学の専門書を焼却した。これは「自ら退路を断つ」という強い思いがあったからだ。学生の頃から取り組んできた研究者の立場は自分にとって一番心の安定を図れるポジション。その象徴ともいえる専門書を処分することで、苦しくなったときにそこへ逃げ込まないようにという決意だった。

それから1年後、社長を引き受けるときに平田正元社長から「これは実にいいことが書いてあるから、参考にしたらどうですか」と渡されたのが石川島播磨重工業、東芝を経営者として再建した土光敏夫さんの『経営の行動指針』だった。

私はもともと土光さんのファンで、石坂泰三さん(第2代経団連会長)や石田礼助さん(第5代国鉄総裁)と同じ明治生まれの経営者として、自分の信念を持ち、凛とし毅然とした姿がとても魅力的だった。特に土光さんは高潔、無欲、有言実行の人として知られる。1980年代の第2次臨時行政調査会長のときに、夕食はメザシに菜っ葉、味噌汁と軟らかく炊いた玄米という質素な生活ぶりがテレビなどで伝えられ、生き方も謹厳実直で行動力のある素晴らしい人に思えた。

この本は土光さんの経営者としての数多くの発言の中から100項目を選び、まとめたものだ。どのページを読んでも一字一句無駄はなく、まさに腑に落ちる。しかも出版されて40年も経っているのにダイバーシティからワークライフバランスに至るまで、今の時代にぴったりと符合し、現代に必要なキーワードがちりばめられている。本当にこの本は経営者にとってバイブルだと思う。