大学では物理学を専攻した。そのためか、森羅万象はことごとく“巨大な機械”であり、要素に分解し分析していけば「すべては解決できる」という非常に強い信念を持っていた。もちろん経済学や生物学なども例外とは思わなかった。だが、26歳のときにその考えを改めることになった。医学博士号を取るために、生理学・医学を基礎から学んだからだ。
当時の私は20歳で会社を興していたこともあり、正直なところ学位を取るためだけに通学して勉強するような時間的余裕などなかった。しかし、ものは考えようだ。「社外留学するとか特別に論文を書くための研究などしなくても、毎日の仕事に打ち込みながらだって博士号は取れるものだ。おれもやるから、みんなも頑張ろう」と鼓舞したのだった。
その結果、部下たちは続々と工学博士や理学博士の学位を得た。残ったのは社長の私である。
そのまま専門分野で申請すれば理学博士となる。だが、理学では後輩(部下)に先を越されていた。まだ誰も取っていない分野を目指そうと考え、着目したのが生理学・医学であった。京都大学医学部の先生からアドバイスを受け、熱解析法を血液の分析に応用するというテーマで論文を書いた。1年ほど京大病院に通って実験を重ねた成果である。
論文そのものは高い評価を得た。しかし医学博士となる以上、医学全般の知識も持っていなければおかしいのではないかという意見が出て、口頭試問を課されることになった。そのためさらに1年、生理学・医学の勉強を強いられたのだ。医師になるわけではないのに、なんと理不尽な……。当時は社長業の忙しさも手伝い、無益な学習をすることに腹立たしさすら感じたものだ。
ところが、いまになって思えば、このときの勉強で私の人生観は大きく変わった。すべてを機械のようにとらえる単純な唯物論者から脱皮し、医学博士号を得ることができたのだ。
なぜ変われたのか。端的にいえば、生理学・医学の世界においては物理学の考えや法則が通用しないからだ。たとえば生物を細かく切り刻んで細胞単位に分解し、それをもう一度寄せ集めても、元の機能は回復しない。分析と統合によって真理に至る「要素還元法」が物理学や化学を中心とする科学の基礎なのに、こと生命に関する分野に関しては、それが通用しないのだ。それどころか、生命に関する分野については現代の科学では何もわかっていないに等しい。医者にかかると、彼らはわかったようなことをいうが、実際には不明なことだらけである。
人間の特定の臓器がどのような機能・作用をするかはわかっている。解剖すれば配置もわかる。しかし、なぜそうなっているかはわからないし、工学的に再現することもできない。科学が進歩したといっても、いまだに単細胞生物のアメーバ一つをゼロからつくることもできないのだ。
生理学や医学を学ぶうちに、このような認識が私のなかで大きく育っていった。ことは生命に関する分野だけに限らない。複雑きわまりない現実世界は、物理学などで馴染んだ要素還元法では説明しきれないのではないか、ということである。