私がコルビュジエと出会ったのは必然だったのかもしれません。もともと学生時代は文学青年で、小説家を志していました。フランス文学に傾倒して、当時の愛読書といえばサルトルやカミュでした。ところが、大学2年目のときに肋膜炎を患って自宅静養に入り、大学は留年することに。それを機に家業を手伝い始めたところ、実業の面白さにすっかり目覚めて仕事にのめり込んでいきました。

森ビル社長 
森 稔 

1934年、京都府生まれ。神奈川県立湘南高校を経て東京大学教育学部卒。59年森ビル設立と同時に取締役、93年より同社代表取締役社長。98年経済戦略会議委員、2001年総合規制改革会議委員等を歴任。

とはいえ、文学青年だったため、建築を本格的に勉強したことはありません。そこで建築や都市開発の本を読み漁るようになり、ル・コルビュジエの『輝く都市』を手に取ったというわけです。

実をいうと、当時の建築関係の翻訳本はそれほど好きではありませんでした。建築家や都市計画の専門家にしか通じない暗号のような翻訳ばかりで、どうもまどろっこしい。その点、この本を訳した建築家、坂倉準三さんの翻訳はわかりやすかった。原題は「都市化の思考方法」といった意味なのですが、それを『輝く都市』と名づけるセンスからも、翻訳の素晴らしさがうかがいしれるでしょう。

もちろん内容も衝撃的でした。コルビュジエは、装飾過多だった伝統的な建築とは異なる、合理性をモットーにしたモダニズム建築を提唱していました。さらに建築家として斬新だっただけでなく、同時に都市論でも世界をリードしていた。彼が提唱していたのは、都市の過密を超高層建築で解消して、まわりに公開空地や緑地を生み出すという垂直の都市です。こうしたみずみずしい思想が、日本の復興期に合致したのでしょう。当時、日本で建築や都市計画に携わる人の多くが、彼に何らかの影響を受けていました。

むろん私もその1人でした。本格的に仕事を始めた1950年代は、鉄筋・鉄骨建築はほとんど建っておらず、みなさん戦災で焼け残ったビルの中で仕事をしていました。一方、東京には後藤新平の時代から何度か都市計画が持ち上がりましたが、そのたびに頓挫していた。そういう時代にビル開発を始めたせいか、これからの街づくりはどうあるべきかという問題は、私にとってつねに大きな関心事でした。そのとき頭の片隅にあったのは、やはりコルビュジエの描く理想の都市像です。