はるか後年になって、私のそうした認識を裏付ける本が現れた。1997年に出版された『複雑系の経済学』である。生命や経済、気象などそれぞれの因子が相互に影響しあって進行する複雑きわまりない現象を「複雑系」という。複雑系研究のメッカとされるのがアメリカ・ニューメキシコ州にあるサンタフェ研究所だ。そこでは物理学や経済学、心理学、社会学、生物学などの専門家が集まり、学際的な研究が進められている。同研究所の研究成果などをもとに、複雑系の概略を解説したのが同書である。

それ以前からメディアで話題になっていたので、複雑系という名称だけは知っていた。しかし本格的な解説を読んだのはそのときが初めてだった。一読して、私が求めていたのはこれだと思った。

主に2つのポイントがある。複雑系においては、前述した要素還元法が否定されていること。そして未来は予測できず、すべては「一回性」であるということだ。

同書のなかで最もよく本質を整理しているのが、多摩大学教授の田坂広志氏による第7章「複雑系の七つの知」である。複雑系においては「これまで金科玉条としてきた科学的手法の限界」が露呈されると田坂氏は説く。たとえば要素還元法を支える「分析」という手法である。

「宇宙、地球、自然、社会、市場、企業などは、本来、複雑化すると新しい性質を獲得するという特性を持つため、分析という手法によって分割された瞬間に、その新しい性質が失われてしまう。そのため、分割する前の対象の全体像を正確に認識することができなくなる」

堀場製作所の主力事業は分析器具の製造・販売である。分析が無力になるということは、私たちの仕事そのものも過去の遺物になってしまうということだ。しかしその認識は、生理学・医学を学んで以来、私自身が考えていたことと合致していた。

複雑系を考えるときに、もう一つの重要なポイントは「一回性」という原理である。昨日つくったものも今日つくったものも、明日つくるものも、すべて同じ品質であることが、品質管理の基本である。それにはどうするか。仕入れる品も製造過程もまったく同じようにすることだ。つまり再現性があるということ。再現性があるものを科学という。ところが、複雑系においては「結果を予測することはできない」。つまり再現性はない、というのである。