健康数値に一喜一憂することがストレスになる

現代の日本以外の国での考えかたでは、人間は心と身体が相互連関している生き物で、両者が健康であってこそ健康といえるのですから、健康数値に一喜一憂することがストレスになるなら健康とはいえないのです。

よけいな心配事を増やすことがストレスになりえるという視点が現状の健康診断から抜け落ちていることにわたしは納得がいきません。

健康診断は「このままではマズイかもしれない」という仮説を振りかざして、標準値からちょっと外れている人までも薬漬けにして生活の質を下げてしまう装置のようなものです。

そもそも人が健康に生きるための方法に正解はないのです。

たとえば子どもには、ほめるとのびるタイプと叱ることでのびるタイプがいます。

仮にほめるほうがのびた子が7割いたとすると、ほめたほうがいいというのがエビデンスがある言説ということになります。

しかし、それは統計学的な話。自分の子どもは少数派の叱られてのびるタイプかもしれません。エビデンスというのはその程度のものなのです。

仮にエビデンスがあっても、自分の子どもは叱ったほうがのびる子かもしれない。それなのにほめ続けて成績が下がり続けても、やはり叱らないのでしょうか?

医者のいうことを聞いて調子が悪いなら、自分は少数派のほうの人間かもしれないという個人差を考える姿勢が身を守ります。医者は通常は個人差を考えてくれないのですから。

何も知らなければ薬を飲み始める必要もない

いずれにしても標準値がアメリカ(イギリスのこともありますが)の、しかも統計学的なものでしかない以上、そのうえ、日本では統計学的にどちらが身体にいいかもわからない以上、数値が悪いといって治療したほうがいいかどうかはわからない。

しかも今のままで不具合はない。ならば健康診断を受けない=知らぬが仏の幸せを選ぶという選択があっていいはずです。

数値が悪いと知らされれば気になる、気になるから医師の指導に耳を傾ける、その結果としてすすめられるままに薬を飲み始めてしまうのですが、何も知らなければ薬を飲み始めることもなく、薬によって不具合が生じることもなかったということも十分にありえるのですから。

血液検査の結果
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです

少なくとも闇雲に薬を飲み始めるのはやめたほうがいいとわたしなら考えます。

日本には労働安全衛生法があって、企業が従業員に健康診断を受けさせなければならないという決まりになっていますが、欧米にはありません。

日本では定年退職後も役所から「健康診断のお知らせ」が届きますが、公費を使って同じ項目の検査をする習慣があるのは韓国と日本だけ。

なぜ他の国では健康診断に重きをおいていないのかといえば、早期発見早期治療が確実に死亡率を減少させるというエビデンスがないと考えられているからです。