「ハッキング対応の思想」としての民主主義
民主主義においては、ルールは国民、つまりゲームの参加者自身が定めることになっています。だからあらゆる可能性を潰すルールをつくることはできません。また、どんなルールも「ハッキング」されると考えなければいけません。社会を守るためには、東谷さんのような「ハッカー」「クレーマー」に個別に対処し、ルールを訂正していく柔軟性が求められます。今回の件については、第二の東谷さんが現れないように速やかに法整備を進めるべきでしょう。
言い換えれば、民主主義とは、本質的にクレーム対応やハッキング対応の思想なのです。そういう本質は、政治思想を学ぶよりも、むしろバフチンやクリプキのような言語哲学を学ぶことで理解できます。
訂正する力とは民主主義の力のことである
リベラル派はよく「本当の民主主義」といった言いかたをします。けれども、本当の民主主義なんてありません。民主主義の本質は「みんなでルールをつくる」ということにあります。「正しさ」もみんなで決めるものです。だから、どんなルールをつくってもそれを悪用する人間は必ず出てくるし、既存の民主主義の常識を破る人間は必ず現れる。そういう構造になっているのです。
完璧に正しい市民を育て、完璧に正しい法制度をつくり、完璧に法が守られる社会をつくろうという発想には意味がありません。むしろ、ルールが破られたとき、それにどう対処するかが民主主義の見せどころです。この点において、訂正する力とは民主主義の力のことなのだとも言えます。