ジャズのセッションのような「調整」
そのとき、自分はこういう言葉を使った、そうしたら向こうは予想とは異なる反応を返してきた、このままだと対話が成立しないから言葉を変える。そうすると話がさきに進んでゲームが成立する。そういうことを繰り返していくわけです。その調整は終わることがない。それがバフチンが言っていることです。
ぼくは音楽は詳しくないのですが、それはジャズなどのセッションに似ているのではないかと思います。他人の演奏をリアルタイムで感じ取り、それに合わせて自分の演奏を調整し変化させていく。
そういう身体的なフィードバックを抽象化したものが、ここでいう訂正する力にほかなりません。
哲学者クリプキの思考実験「クワス算」
もうひとつ紹介したいのが、ソール・クリプキというアメリカの哲学者が『ウィトゲンシュタインのパラドックス』という本で展開した議論です。ウィトゲンシュタインというのも哲学者の名前です。
クリプキの議論はつぎのようなものです。ふたりのひとが一緒に足し算をやっているとします。1+1は2だね、2+2は4だね、とひとつひとつ答えを確認して話を進めている。
そして足し算が68+57に到達したとします。答えはむろん125です。Aさんは125と答えます。ところがBさんは5だと言う。
当然Aさんは「なんで5なんだよ」と言うでしょう。それに対してBさんがつぎのように答えたとします。「いやいや、5でいいんだよ。というのも、じつはぼくたちがずっとやってきたのは、足し算(プラス算)ではなく『クワス算』という特殊な演算だったんだ。それは足す数の片方が56になるまでは足し算と同じ答えを出すんだけど、両方が57以上になると答えが全部5になるんだ。いままでずっと足し算をやってきたと思ってきた、きみがかんちがいをしているんだよ」と。
ここで68+57=5はただの例で、ほかの数字の組みあわせでもかまいません。どれほど多くの足し算をやってきていても、これまで使ってこなかった数字の組みあわせは絶対に存在する。だからBさんみたいな主張はいつでも可能です。