厳密に考えれば「屁理屈」には勝てない
また、そもそも足し算でなくても似た例をつくることは可能です。問題の要点は、複数の人間がひとつのゲームに参加し、あるところまではなにも問題が起こらずルールも共有されていると思っていたにもかかわらず、突然片方が「おまえの理解は違っていた」と言い出す、その事態をどう理解するかということです。
むろん、常識で考えれば、クワス算をもち出したBさんの言い分は完全な言いがかりであり屁理屈です。なに言ってんだとつまみ出されるのがオチです。
ところがクリプキによれば、学問的に厳密に考えると、そのような屁理屈を言い負かすことは絶対にできない。どういうふうに反論したとしても、似たような屁理屈で言い返されてしまうのです。このあたりはじつにおもしろい議論なので、興味があるひとはぜひクリプキの本を読んでみてください。
理不尽なクレーマーへの2種類の対処法
日常の例で解釈するならば、この議論は、言うなれば、ぼくたちはクレーマーを完全には撃退できないという話だと理解すればよいでしょう。
いくらルールを厳密に定めたとしても、あるとき突然変なやつがやってきて、「おまえはこのゲームについてまったく理解してなかったんだ、本当のルールはこっちなんだ」と言いがかりをつけられる。そんな可能性はけっして排除できない。それがクリプキが証明したことです。
だから、クレーマーへの対処はつねに考えておかなければいけない。そのとき対処には2種類あります。ひとつは「ではきみ、出禁ね」とゲームのプレイから排除すること。たいていはそうなります。
でも違うケースもあります。「なるほど。きみはルールをそう解釈していたんだね。そういうひとがいるんだったら、では新たな解釈で行こうか」とルールを拡張したり、訂正したりすることもあるわけです。さすがに足し算ではルールを変更するわけにはいきませんが、そういうことがあるからこそゲームは豊かになります。じつは自然科学においてさえ、そのようなルールの変更はめずらしいことではありません。
ここでクリプキの哲学はバフチンの対話論とつながります。そして訂正する力の本質とも関わってきます。