「変人」の挑戦に対処しながらつぎに進む

バフチンは、対話は終わらないと言いました。クリプキは、どんなルールを設定してもいちゃもんはつけられると指摘しました。

これは言い換えれば、人間のコミュニケーションは本質的に「開放的」だということです。

ぼくたちの社会は、どんなに厳密にルールを定めても、必ずそのルールを変なふうに解釈して変なことをやる人間が出てくる、そういう性質をもっています。社会を存続させようとするならば、そういう変人が現れてきたときに、なんらかのかたちでそれに対処しながらつぎに進むしかない。だから訂正する力が必要になります。

裏返すと、これはルールにはつねに穴があるということでもあります。「ルールを守らないひとがいて困る」という話ではありません。じつは人間は、ルールを守っていても、あるいは守っているふりをしても、なんでも自由にできてしまうのです。ルールはいくらでも多様に解釈可能だからです。それがクリプキが証明したことです。

ガーシーがしてみせたことの意味を考えてみる

これは政治にも関わる話です。時事問題で考えてみます。

暴露系ユーチューバーの東谷義和ひがしたに よしかず(ガーシー)さんは、2022年7月、NHK党から立候補して参議院議員に当選しました。にもかかわらず、滞在先のドバイから帰国せず、議場に姿を見せなかった。2023年に入って参議院が東谷さんを除名し、その後脅迫などの容疑で逮捕されていまに至ります。彼の行動に正当性があるのかどうか、半年ほど日本のメディアは大騒ぎでした。

東浩紀著『訂正する力』(朝日新書)

国外滞在のまま当選し、国会議員になったあとも帰国しない。こういうケースをいままでの法律は想定していませんでした。このようなルール破り、あるいは「ハッキング」に対してどのように対処するか。これはすごく大切な問題です。

というのも、東谷さんのようなケースは今後も出てくると考えられるからです。選挙制度にはさまざまな穴があります。それを私利私欲のために利用するひとは、これからのSNS時代どんどん出てくるでしょう。

そこで「ガーシーの行為は民主主義の精神に反する」と叫んでもあまり意味がありません。そういうひとが現れることも含めて民主主義だからです。