人々が「空気」に支配される日本では、改革はなかなか進まない。批評家・哲学者の東浩紀さんは「いまの日本では、相手の話を聞き自分の意見を変える力、つまり『訂正する力』が失われている。岸田首相も訂正することができないので、聞くこともできない。『ひとの意見は変わるものだ。われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる』という認識をみなで共有するべきだ」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、東浩紀著『訂正する力』(朝日新書)の一部を修正・再編集し、編集部で加筆したものです。

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なぜヨーロッパ人は「ルール」を平然と変えられるのか

訂正するとは、一貫性をもちながら変わっていくことです。難しい話ではありません。ぼくたちはそんな訂正する力を日常的に使っているからです。

この点でうまいなと思うのは、ヨーロッパの人々です。彼らを観察していると、訂正する力の強さに舌を巻かざるをえません。

新型コロナウイルス禍を思い出してください。イギリス人の「訂正」にはすさまじいものがありました。大騒ぎしてロックダウンをしたと思いきや、事態があるていど収まると、われ先にマスクを外していく。「自分たちはもともとコロナなんて大したことないと気づいていた」と言わんばかりです。「いや、そうだったかな」と思わずにはいられないですが、彼らはあたかもそれが当然だったかのように振る舞います。

日本人からすると「ずるい」と感じるかもしれません。スポーツでもしばしばルールチェンジが問題になっています。

それでもヨーロッパの人々はルールを容赦なく変えてくる。政治でも同じです。たとえば気候変動。少しまえまでドイツは、「脱原発」や「二酸化炭素排出量の削減」を高らかに掲げていました。ところがウクライナで戦争が勃発しロシアからの天然ガスの輸入が途絶えると、「やはり原発と石炭火力も必要だ」と言い出す。

これまで観光業でさんざん稼いできたフランスも、最近はオーバーツーリズムを懸念し、「地元コミュニティと環境保護のために観光客数を抑制する」という新たな方針を打ち出しています。華麗な方向転換です。