「訂正できない土壌」を変えていく

ぼくはこの10年ほどトークイベントスペースを経営し、そこで聞き手をやり続けています。

東浩紀著『訂正する力』(朝日新書)

そこでも同じことを感じることがあります。登壇者のなかに、事前に用意してきた話題しか話さないひとがいるのです。ぼくが司会として合いの手を挟んだり、観客から質問をもらったりしても、自分が想定した質問でないとごまかしたり答えなかったりする。

それではわざわざ来てもらった意味がないのですが、すごく「見えない攻撃」を恐れている。その警戒心を解くのには苦労します。

つまり、いまの日本には訂正できない土壌がある。だからみな訂正する力を発揮できない。ここを変えねばなりません。

互いに意見を変えていけるからこそ議論に意味がある

これは民主主義の話とも関わります。民主主義の基本は議論ですが、議論を成立させるためには相手が意見を変える可能性をたがいに認めあわなくてはいけません。だれの意見も変わらない議論なんて、なんの意味もありません。

訂正できる土壌をつくることはとても大事です。「ひとの意見は変わるものだ。われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる」という認識をみなで共有しなければなりません。これは教育にも関わります。小学校ぐらいから、話しあいの時間をつくり、「たしかにあなたの意見は正しいかも」と気づき自分の意見を変えていく、また他人の変化も認めあうという訓練を積み重ねるべきです。それは「論破」を目的としたディベートとは似て非なるものです。

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