日本の半導体の世界シェア(売上高)はかつて7割もあった。だが今は、世界ランキングのトップ10に日本企業はない。評論家の宮崎正弘さんは「凋落の原因はいくつかあるが、特に『日本脅威論』が広がっていた米国の策略にはめられてしまった」という――。

※本稿は、宮崎正弘『半導体戦争! 中国敗北後の日本と世界』(宝島社)の一部を再編集したものです。

日本の半導体産業は米国によって潰された

わが国の半導体産業の凋落原因は何ゆえか。

第一に、日米通商摩擦の犠牲となったこと。クルマの「自主規制」に続いて半導体が米国の攻撃目標とされ、「日米半導体協定」を無理矢理締結させられ、手足をもがれた。

ずばり言えば、日本の半導体産業は二十年前に米国によって潰されたのだ。議会に働きかけ日本の競争力を弱体化させようと水面下のロビィ活動を展開したのが1977年に設立された「米国半導体工業会(SIA)」である。この組織が黒幕だった。

半導体のイメージ
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第二に、米国が先端技術を日本の頭越しに韓国と台湾へ供与し、奨励したこと。明らかに日本の競争力を衰退させる目的だった。言いがかりに近いダンピング提訴もさりながら、日本が課せられた数値目標が大きな障害となった。米国はこれで日本は再び立ち上がれまいとほくそ笑んだ。まるで戦後GHQの日本非武装化と同じ発想だったのだ。

第三に、アナログからデジタルへの変換が起きていたが、既存の業績に振り回された日本企業の対応が遅れた。日本は高品質にこだわってデジタル方面の対応が後手に回った。

日本の電化製品が世界的ベストセラーとなっていて、経営者には「その次」を真剣に考える余裕もなかった。

ビジネスモデルへの転換が大きく遅れた

第四に、ビジネスモデルの変更である。簡単な例を挙げればテープレコーダーの小型化とウォークマンの登場で関連の産業分野が広がり、磁気テープのTDKや3Mの全盛が一時期出現した。ヴィデオでもVHSかベータマックスかで熾烈しれつな競争を展開している間に、ビジネスモデルはDVDへと移っていた。デジタルカメラのブームは忽然と去ってスマホの画像がデジタルカメラより高画素となった。

スマホとパソコンの商戦で日本がシェア拡大競争に明け暮れている間に生産方面はまったく乗り遅れた。アップルはほぼ全量を中国で生産していたのだ。皮肉なことにその組み立ての主力工場は台湾人経営のフォックスコン(鴻海精密工業)である。例えば、バブル時代に繁栄を謳歌したマスコミ、とくに新聞とテレビの凋落ぶりを見ればわかる。

インターネット、ユーチューブという新兵器が新聞の部数激減を招来した。大新聞各社は軒並み数百万部から数十万部も部数を減らし、保有不動産を売却して早期退職者を募り、それでも明日を知れぬ衰退傾向である。

出版界は老舗の月刊誌『現代』『宝石』や『週刊朝日』の休刊が象徴するように多くの雑誌が休・廃刊に追い込まれ、また単行本の初版部数は往時の三分の一以下となった。全国で書店数は半減し、とくに若者は新聞もテレビも見ない。スマホだけで用を足している。