通信・メディアもめまぐるしく変わった

国際通信でも同じ傾向があり、電報も国際電話も廃れ、テレックスとワープロは無用の長物となり、書類は郵送ではなくネットで送り、メッセージは文字通信となった。そして画像も送れる時代、既存の新聞紙はいずれ淘汰されるおそれがある。

ワープロ一号機は畳一畳分だった。富士通のワープロを真っ先に外交評論家の加瀬英明がオフィスに導入し、しかも一週間講師が派遣され、ああだこうだと講釈していたが、とても操作方法が複雑だったので解約した。そのワープロが短時日で小型化され、卓上で操作してフロッピィに記憶させる。編集者とのやり取りは、「フロッピィで送ってください」となった。自筆原稿を速達書留で送っていた(あるいは編集者が取りに来た)時代から比べると「革命的な進歩」だった。ワープロをすぐに取り入れたのは悪筆で有名な石原慎太郎と、時代捕物帳で主人公たちの名前がやたらに長いのを簡略ボタン一つで済むと言っていた有明夏夫(直木賞作家)だった。

電話機はスマホになったが、その前はガラケー、その前は重たい携帯電話か、自動車電話だった。今日こんにちのスマホは機能がやたら多く、電話に録音に画像収録に万歩計、そしてグーグルの検索から飛行機のチケットまで代行する。

エンジニア重視の伝統が希薄になった

第五に、「失われた二十年」が三十年となって、日本企業は新分野への開拓を怠り、内部留保の積み上げに明け暮れ、次の技術研究と開発に消極的だった。エンジニア重視の伝統が希薄となった。

国産ロケット「イプシロン」の打ち上げ連続失敗を見よ。令和四年に固体燃料ロケット「イプシロン6号」が打ち上げ失敗、同年、月面着陸を目指していた探査機「OMOTENASHI」が通信途絶、令和五年三月、大型ロケット「H3」が打ち上げに失敗、四月に「アイスペース」の月面着陸失敗、七月、小型固定燃料ロケット「イプシロンS」の二段目エンジンの燃焼試験が爆発と、失敗続きの醜態を続けている。

その上、優秀なエンジニアは外国企業に引き抜かれた。替わって躍進した台湾と韓国勢は米国にR&D(研究開発)センターを設立し、米国の大学の理工学部卒の優秀なエンジニアを高給で召し抱え、瞬く間にのし上がったのである。

エリクソンとノキアはかつて携帯電話の王者だった。もともと両者は通信施設、地上局設備など通信のインフラを担い、携帯電話にも進出したが、価格でサムスンと競合しているうちに中国製スマホに市場を奪われた。

ノキアはマイクロソフト傘下となり、往時の面影はないが、地上局設備などで欧州が中国のファーウェイ(華為技術)排除を決めたので基礎的なビジネスは維持されている。両社ともに半導体は製造していない。