「走りの記憶力」とその語り口

その後も、森田歩希、鈴木塁人などのキャプテンにはそれぞれに思い出があるが、最近では2021年度の主将、飯田貴之の取材が面白かった。

その時は箱根駅伝での総合優勝を受けてのインタビューだったのが、「3年までは復路ばかりだったので、最後の箱根は往路で勝負に絡める区間を走りたいです、と監督には話しました」という話から始まって、全日本大学駅伝で自身がアンカーを務めながら駒大に突き放されたことなど、レースでの思い出を話してもらった。そのうち、彼が4年間のすべてのポイント練習の達成度、感触を記憶していることが分かった。

「僕が外したのは、1年生の時の9月の30km走だけです。でも、それは設定がきつめだったので、みんな設定通り走れない感じでした」

箱根を走るレベルの選手になると、「走りの記憶力」がハンパないと感じる。中学時代の3000mのレースで、どの地点でスパートをかけただとか、細かいところまで鮮明に覚えている選手が多い。しかし、飯田の記憶力はちょっと段違いで、しかもそれを面白く話せる力があった。たとえば、こんな感じで。

「1年生の時は箱根の8区を走ったんですが、直前に車で下見に行ったんです。でも、自分は8区は走らないだろうと勝手に思っていて(笑)、車の中で居眠りしちゃったんですよ。8区の難所には遊行寺の坂がありますが、実はその前にフェイクがあるんです。あ、ここが遊行寺かっていうような。そこで頑張っちゃったら、その後にホンモノの遊行寺の坂が現れて(笑)。あれはキツかったです」

青学大は主将がメディアに登場する機会も多いから、話せば話すほど言葉が豊かになっていく。きっと、それは彼らの将来にも大きくプラスになっていくはずだ。

青学はマネージャーも企業から引っ張りだこ

そしてなんといっても青学大は「主務」がいい。主務のことをマネージャーのひとりと思っている人が多いかもしれないが、青学大で主務の仕事を大過なくこなせれば、一般企業では即戦力となると思う。

最初に縁が出来たのは2011年度の主務、橋本直也君だったが、彼は出雲駅伝で優勝した時に、「生島さん、やりました!」と私をハグしにきたので、思わず笑ってしまったほどだった。

橋本主務はもともとマネージャー希望で青学大に入学してきたという変わり種だった。マネージャーの仕事は多岐にわたり、日ごろの練習ではストップウォッチでタイムの読み上げをするが、「読み上げるのにも、選手のやる気を出せるようにするコツがありますね。上手い下手、あるんですよ」と教えてくれたのは箱根駅伝で初優勝した時の主務、髙木聖也君である。

競技面だけでなく、主務は広報窓口ともなる。テレビ、ラジオ、新聞・雑誌の担当記者との調整もするので、自然と大人と接する機会も多くなる。そこで監督、選手の意向と記者のニーズをすり合わせていくのも主務の仕事なので、1年間主務を務めるとトーク力がつくのは間違いなく、原監督が「主務は社会へ出るための登竜門みたいなものかな」と常日頃から言っているのも理解できる。

生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)
生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)

ありがたいことに、髙木君とはいまも交流があって、たびたび食事を共にする。年下の友人の就職から結婚、そして陸上とのかかわり方を遠くから見ている感じだが、必要とあらばヘルプしたいと思っている。陸上でつながった縁は、なんとも不思議なものだ。

青山学院は監督から始まって選手、主務、そして合宿所で時折話せる学生たちから「奥さん」と呼ばれている寮母を務める原美穂さんにいたるまで、とにかく関係者と話すのが楽しい。

楽しければ、思い入れも強くなる。たぶん、それが私の原稿を書く作業に元気を与えてくれていると思う。

そう、青山学院は私に元気を与えてくれるのだ。

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