※本稿は、生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
原監督が選手とテレビ番組に積極的に出る理由
ちょっと前のことだが、爆笑問題の田中裕二が、ラジオでこんなことを言っていた。
「お正月だとさ、“原監督”っていうと、青山学院の原監督のことをみんな連想するようになってきたでしょ。俺、それは嫌なんだよ。俺にとって、原監督といえば“巨人軍の原辰徳”のことなんだよ!」
若干、キレ気味に話していたので笑ってしまった。たしかに、それほど青山学院大学の原晋監督の存在感は大きくなった。
青山学院が箱根駅伝で初優勝したのは、2015年のことだった。青学のポピュラリティというのは、それまでの箱根駅伝の文脈のものとは違っていて、箱根駅伝が終わったあと原監督と学生たちが積極的にバラエティ番組に出演したりして、既存のファン層とは違うエリアを開拓した。
特に嵐のバラエティ番組に出たことで、それが台湾に波及したと聞いた時はさすがに驚いた。台湾の嵐のファンが、青学にスピンアウトしたようなものだ。そのなかから、「青学に留学したい!」と思う女子高生が出たりしているというのだから、箱根駅伝の影響力は海外にも及んでいるといっても過言ではない。
これなんぞ、私がアメリカのカレッジフットボールと、カレッジバスケに熱狂して、通ってもいない大学を贔屓にするのと同じだろう。それほど、カレッジアスリートは力を持ちえるのだ。
選手のクリエイティビティを重視する
この「渦」を作り出したのは間違いなく原監督で、選手の表現力が豊かなことを重視したことはとても大きかったと思う。競泳のオリンピックのコーチが、「21世紀は、感覚が鋭かったり、表現力が豊かな選手じゃないと、世界と戦えないよ」と話していたことを思い出す。これは2000年のシドニー・オリンピックのあたりの話で、選手のクリエイティビティがこれからの鍵になるとそのコーチは話していた。
走ること、それは自らを表現することに他ならない。表現欲求が強い選手は、考え、しっかりと練習する。原監督はそれを理解していて、言葉を持っていたり、話した時に感じのいい学生をリクルートしていたと思う。