原監督と青学の選手が持つ「表現力」
それにしても面白いと思うのは、原監督自身は中京大学の出身で、大学時代は青学や箱根に縁もゆかりもなかったということだ。ただし、ご本人にインタビューした時は、「関東の大学に進学したいという思いはありました」と話していた。いろいろな事情があってその夢はかなえられなかった。もしも、原監督が意中の大学に進学していたとしたら、青山学院だけではなく、箱根駅伝の歴史も変わっていただろう。人の流れは、かくも不思議なものなのである。
私は2005年に『駅伝がマラソンをダメにした』(光文社新書)という本を書いた時に、「陸上の仕事は、こりゃ来ねえだろうな」と思っていた。当時はメジャーリーグの仕事が優先事項だったし、それまで一度も陸上関係の取材をしたことはなかった。単に小学校の時から見続けてきた陸上長距離のことを書きたかっただけである。
ところが驚いたことに、この本を書いたことで現場とのつながりが出来たのだが、より駅伝の取材にのめり込むことになったのは、青山学院大学との「縁」が出来たことが大ききかった。
青学大を取材していて感じるのだが、最大の魅力はその「表現力」にある。当然、その筆頭に挙げられるのが原晋監督だ。原監督とのインタビューでいちばん印象に残っているのは、初優勝した数日後、『文藝春秋』向けに話を聞いた時だ。
この時は幼少期の話に始まって(海で泳いでいた話など)、世羅高校時代の苦い思い出、中京大進学の経緯、そして中国電力時代の話などを聞いた。なかでも、中電時代に駅伝で失敗した時の話は印象に残っている。
「私だけブレーキになったんです。その翌日、職場に出社した時の空気が忘れられないね。みんな、腫物に触るような感じで。あれはつらかった。私は中国電力の強化一期生として入社して、しかも地元出身。期待も大きかったんです。それで結果が出ない時の惨めさ。あの悔しさはいまだに忘れられない」
学生も自然と表現力が豊かになる
原監督の会話の回路には、いくつかの「チャネル」があって、テレビに出演する時はサービス精神が旺盛に発揮される。それもまた原監督の一部であるが、活字媒体で話を聞く時は違うチャネルの回路が開く。そこでは思いもしなかった話が何年経っても出てくる。原監督にはいろいろなものが眠っていると思う。
監督が「話す人」なので、学生たちも表現力が豊かで話を聞いていると楽しい。藤川拓也、川崎友輝、高橋宗司、神野大地、久保田和真、小椋裕介、渡邉利典といった初期のメンバーからはじまって、2023年度の4年生、志貴勇斗、佐藤一世にいたるまで、それこそ何十人と話を聞いてきた。
高橋、渡邉のふたりは私と同じ宮城県出身ということもあって応援していたが、ふたりともユニークな人材で(彼らはアート方面に興味を持っていた)、陸上の経験談も話題が豊富だった。
そして忘れられないのは、神野大地が3年生の時である。山上りの想定練習を行った夕方にちょうど取材の時間が取れた。開口一番、彼はこう言った。
「僕、山を上ることになりそうです」
かなりの手ごたえがあったようで、そのあと、原監督も興奮の面持ちで、
「生島氏、これはウチが優勝するよ。神野は山の神級だよ」
と話していたのが忘れられない。そして2015年、青山学院は神野の快走もあり、初めて優勝する。その前の晩秋の時点で、青山学院の面々は優勝できるという確信に近いものを抱いていたのだ。