「オープン・イノベーション」を無条件に礼賛する愚

本書は企業の競争力の正体が一筋縄ではいかないということを如実に示している。これはトヨタ生産システムとかものづくりに限らず、経営のさまざまな側面で重要なメッセージを含んでいる。本書の内容からは離れるが、たとえば最近の「自前主義」に対比した「オープンが大切」という類の言説だ。「これからはオープン・イノベーションの時代だ!内向きの自前主義でしこしこやってる場合じゃないわよ!」というわけで、ある意味「すり合わせ型ものづくり」と逆方向の話のようにみえる。

これにしても議論が平面的にすぎる。自前主義はスピードが遅いし、効率も悪い。とにかくオープンにして外から取り入れればよい、というのだが、常識で考えてもビジネスでそんなうまい話があるわけがない。オープン化の戦略が成功するのは、そもそもこちらに「特別な何か」があるときのみだ。

たとえば味の素の半導体向け機能材料事業は長期的に高い収益性を誇る成功事例だ。その背後には「オープン・イノベーション」があった。詳しい紹介をする余裕はないが、このオープン・イノベーションの成功にしても、まず味の素の内部に長い時間をかけ、徹底的にブラックボックス化した材用技術と生産技術の開発が先行してあった。このフェースをみれば極めて「すり合わせ」的な「自前主義」でことが進んでいる。事業化のプロセスでは、主要顧客であるCPUメーカー(インテルなど)や量産を受け持つフィルムメーカー、CPUの手前でそれに組み込まれる基盤をつくるメーカーとの共働を重視した「オープン」なやり方がとられている。しかし、お互いに一蓮托生の関係だからこそ実のあるコミュニケーションが可能になり、それがイノベーションとして開花したわけで、外部のパートナー企業との間には多分に「すり合わせ」的な関係がある。オープン・イノベーションにしても、実際に成功しているものをつぶさに見ると、クローズドな自前主義とのコントラストが効いている。

オープンとかグローバルとかクラウドとかビッグデータとか、その手の「ベストプラクティス」のかけ声に飛びつく輩に限って、右往左往するだけで結局は何の成果も出せないことが多い。藤本さんは別の本(『日本のもの造り哲学』)で、「いろいろなヨコ文字やアルファベット3文字の経営手法が毎年のようにブームを起こし、半年でブームが去る」という現象を、「拾っては捨て拾っては捨ての『賽の河原の石積み』の感がある」と批判している。言い得て妙だ。安直なブームやかけ声に流されがちな向きは、藤本さんの本を読んで深く反省してもらいたい。