(>>前回の記事はこちら)

僕が「趣味の仕事」を卒業すると決めたきっかけ

ここからは本書の内容を離れた話になる。藤本さんとは所属も違うし、それほど頻繁にお目にかかる機会もない。しかし、若いころの僕にとって(いまでもそうだが)、藤本さんは経営学者という職業の何たるかを僕に教えてくれた先達の1人だ。

一橋大学大学院
国際企業戦略研究科教授
楠木 建
1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

前にもこの連載のどこかで話したように思うが、僕は学生時代にとくにやりたいこともなく、卒業してすぐに企業に就職してバンバン仕事をするなどということがまったくイメージできなかった。できたらスキなことだけして暮らしていきたいという頓珍漢きわまりない野心(?)に燃えていた。

スキなことが何かといえば、本を読んだり、映画をみたり、昼寝をしたり、音楽を演奏したり、聴きながら踊ったり……。仕事になりそうなものがひとつもない(読書や昼寝はさすがにどうしようもないが、音楽はごくわずかだけれども可能性がある気がした。しかし、それは才能あっての物種であるということがすぐに判明。ソニーミュージックにいらした丸山茂雄さんにも僕の演奏を録音したものを聞いてもらったことがあるのだが、30秒で「ま、才能だからね……」という含蓄のあるコメントが返ってきた)。

そこで「なんとなく自由で楽な気がする。本を読むのはキライじゃないし……」という安直な志(?)で大学院に入院した。イヤイヤ勉強しているうちに学者になった。ところが、経営学者のコミュニティに入ってみると、わりと違和感があった。というのは、論文を書いたり、学会で研究発表している同業者を見ていると、「仕事」というよりは、「趣味」でやっているように見える人が少なくなかったからだ。

仕事と趣味の違いは、後者が自分のためにやることであるのに対して、前者は自分以外の誰かのため、ありていに言って「世のため人のため」にやることだ。ところが、多くの学者は「自分の論文を学術雑誌に載せてコミュニティで認められる業績をつくろう」とか「学会で発表して自分の研究が優れていることを認めてもらおう」とか「他者の研究を批判して、間接的に自分が優れていることを示そう」とか、自分(だけ)のために研究をしているようにみえた。これでは趣味であって、仕事ではない。家でやっている分にはいいが、人前に出して大騒ぎするほどのものではない。実際はそんなことなかったのかもしれない。しかし、僕にはそう思えてならなかった。なぜかというと、当の僕自身がそういう邪(よこしま)な気持ちで論文を書いたり、研究発表をしていたからだ。

こんなことで仕事と言えるのかな? これはタダの趣味に過ぎないのでは……? と釈然としない気持ちをアタマの片隅に抱えながらも、30歳を過ぎたころまでの僕は、経営学のコミュニティで評価されたい、いい研究をしていると同業者から認められたい、という曲々しい動機で、せっせと(正確に言うと「ユルユルと」)論文を書いたり学会で発表したりしていた。同業者からほめられれば嬉しくなり、貶されると落ち込んだり、「チキショー」とばかりに無意味な反論をしたりしていた。

国際的な場での僕のはじめての研究発表は1993年の“MIT-Japan Conference”という若手経営学者を集めた国際会議だった(ここでは戦略論のウィル・ミッチェルさんとか、その後「イノベーションのジレンマ」で有名になったクレイトン・クリステンセンさんとか、のちに大御所になる研究者が発表していた。いまから思うとわりと豪華なコンファレンス)。自分の研究が認められるかどうか心配だった僕は、少しでも評価されたい一心でプレゼンテーションを準備したものだ。

何分若手研究者のコンファレンスだったので、多くの人は多かれ少なかれ僕と同じようなスタンスで、自分の研究の価値を理解させようと一生懸命発表しているように見えた。藤本さんもこのコンファレンスに参加していて(当時の藤本さんは若手の長老?といった存在だった)、PDPを基にした研究を発表した。

藤本さんの発表のスタイルはほかの人とまるで違っていた。例によって早口で、OHPスライドを1枚当たり10秒ぐらいのスピードで次から次へと見せながら(あまりに速いので、誰もフォローできない。このころはパワーポイントのスライドをプロジェクターで投影するのではなく、フィルムにコピーしたスライドをOHPに手でかざして発表するというスタイルだった)、言いたいことをバンバンしゃべる。ところが、「どうだ、おれの研究は?」というニュアンスがまるでない。主張は濃くて、話はくどい(失礼)のに、妙に淡々とした発表だった。とにかく自分が大切だと思っていることを話すだけ。あれ、何でもっと自分の研究をアピールしないのかな? と不思議に思ったのだが、そのときは自分の発表を無事に終えることでアタマがいっぱいで、そのときはその意味をそれ以上考えることもなかった。

仕事のふりをして、ひたすら自分を向いて自分のために趣味的にやっていた僕の研究生活だったが、こんな自己欺瞞が長く続くわけがない。アタマの片隅に封印しておいた「これで仕事と言えるのかな?」という疑念は日増しに膨らんできて、30歳を過ぎたころには、論文を書いて研究発表をするという「趣味の仕事」がいよいよ苦しくなってきた。

そんなとき、ある学会か何かに出たとき、懇親会の雑談の場で藤本さんと一緒になった。そこで僕は研究についての自分の釈然としない気持ちを相談してみた。すると藤本さんは「客があってこその仕事。自分にとってのお客さんは現場の実務家。ものづくりの現場にいる人の役に立とうと思って研究をしている。同業の研究者は、いろいろなアイデアや知識をくれるサプライヤー。お客さんではない」という趣旨のことを、例によってものすごい早口で、自分の言っていることにいちいちうなずきながら(これが藤本さんのナイスな特徴)、一方的に話してくれた。

言われてみれば当たり前のことなのだが(その少し前に職場の先輩の伊丹敬之さんに研究という仕事がどうあるべきなのかという悩みを相談をしたことがあった。すると伊丹さんは「じゃあ、お前は誰に向いて研究をしてるんだ?」と聞くので、「研究者。自分が尊敬している研究者に評価されることを目指しています」と答えたところ、「バカ野郎! そんなの仕事じゃない。経営学は経営の実務家の役に立ってナンボだ!」と同じようなことを諭されたのだが、そのときは叱られているような気がして、素直な気持ちで受け入れることができなかった)、藤本さんの話を聞いて「仕事としての経営学」が初めて腑に落ちた。目の前の霧が晴れた気がした。「よーし、これからは仕事をするぞ!」と興奮した僕は、その夜なかなか眠りにつけず、寝坊をして翌日の仕事に遅刻をした。

本書に限らず、藤本さんの本は必ずビジネスの現場にいる人に対する熱いメッセージを発信している。だから、本のまえがきやあとがきがいつも面白い。「厳密な実証研究よりは、『この際どうしても聞いてほしいこと』を優先しました」とか「現段階で言いたいことをできるだけ全部言い切ることを優先しました」(いずれも『日本のもの造り哲学』)というように、藤本さんにはいつも現場の人々に「どうしても聞いてほしいこと」「どうしても言いたいこと」がある。近著の『ものづくりからの復活』のあとがきにも、「今書かなければならないと思うことを書く」「『今書かないでいつ書くのか』という、ほとんど強迫観念をもって執筆した」という言葉がある。