雑談の達人、現行一致の人

主張がアツいから、話が長い。『日本のもの造り哲学』のまえがきには「私の知る限り、私の講義や講演などに対する評価は、『実例が多くてよい』『わかりやすい』『早口で聞き取りにくい』『繰り返しが多くてくどい』『時間が延びて困る』など様々です」とある。「言いたいことは全部言う」というスタイルなので、論文も本も必然的に長尺になる。『ものづくりからの復活』を贈っていただいたときについていた手紙にも「結果としては例によって、かなり分厚い書物になり申し訳ありません。しかし、製紙業界のイノベーションがあってか500ページ近い割には軽い本となっております」とあるのが笑える。PDPや『生産システムの進化論』といった本格研究書はもちろん、『能力構築競争』や『ものづくり経営学』といった新書も異様に分厚い。『能力構築競争』のあとがきで「本書は、ごらんのとおり、新書版としては非常に長いが、これでも、私がこれまで単著で書いた単行本の中では、おそらく最も短い」と言い切っていて可笑しい。この本は406ページあるのだが、その後に出た『ものづくり経営学』は新書なのに564ページ(!)もある(おそらく日本で出版された新書では最も厚いのではないだろうか。調べてないけど)。

藤本さんは雑談の達人、座談の名手でもある。今でも忘れないのは、4年ぐらい前のある夜に、これまたなにかのコンファレンスで軽井沢のホテルでご一緒することがあり、ご飯を食べたあと何人かで藤本さんを囲んで雑談していたときのこと。話の内容は仕事の話で、現地調査のドタバタや失敗談、東大の「ものづくり経営研究センター」(藤本さんはセンター長をしている)の立ち上げのときの苦労話(「うちはとにかく創発的にやっているので、センター長は極力仕事をしないようにしているんだけど、この前しくじったのは……」で始まって、「やっぱり多少は事前合理性がなきゃダメ。でも僕はそういうの向いてないけどね!」というオチで終わるような話)なのだが、爆笑に次ぐ爆笑だった。あれほどおなかを抱えて笑ったことはなかった。その場にいた武石章さん(京都大学教授)と、こんなに面白い話を僕たちだけで聴いたのがもったいない、と話し合ったほどだ。僕は藤本さんには研究書とは別に「雑談シリーズ」を出してもらいたいと思っている。何しろ忙しい人なので、まずあり得ないとは思うけれども、「藤本隆宏雑談全集」が出たら、僕は絶対に買う(どこかの出版社が企画してもらえませんか?)。

なぜ藤本さんの話はそれほど面白いのか。答えは単純で、藤本さん自身が自分のやっていることを心底面白がっているからだと思う。自分が好きなこと、面白いと思うことを仕事にする。面白いからのめりこめる。普通の人にはできないような努力を投入できる。好きこそものの上手なれ、で優れた成果が生まれる。だから世の中と人の役に立つ。やりがいがを感じる。ますます仕事が面白くなる。これは仕事におけるもっとも理想的な循環だと思うが、藤本さんの仕事ぶりはまさにその完成された姿だと思う。

藤本さんという人は言っていることとやっていることのあいだに乖離がない。言行が一致しまくっている。「ものづくり経営研究センター」を率いる傍ら、(異様に長い本の)執筆や現場での実地調査で忙しくて仕方がない。だから藤本さんのオフィスはわりと散らかっているらしい。実際に見たことがないので半分は想像で言っているのだが、あれだけ調査をする人だから、資料も膨大になるはず。整理が大変になると思うのだが、その辺はわりとアバウトらしい。「それでもなんとかなる。そのときに絶対に必要になる資料は研究室のどこかに置きっぱなしになっていても、自然とそこだけが光って見える。だから見つかる。部屋が散らかっていても、大切な本とか資料というのは向こうから湧き上がってくる」そうだ。言行一致、まことに創発的な仕事のスタイルといえよう。

そもそも藤本さんが現場での実地調査に基礎をおく研究に入った一つのきっかけは、大学生のころのフィールワークの実習に参加した経験だったという。その実習は、長野県と千葉県での田んぼの水利システムの調査だった。その結論は、江戸時代から自生的に進化してきた水利システムのほうが、戦後に計画的に建設されてきた事前合理的な水利システムよりも、長期的に見て、水の配分という機能において優れているということだった。

このフィールドワークで藤本さんは「現場」とか「創発」に関わる重要な何かを掴んだという。そのときの「これだ!」という確信、以前この連載で取り上げた笠原和夫の言うわ「自分の心の中から湧き上がってくる血の騒ぎ」、それが藤本さんの膨大な仕事の原動力になっているのだと思う。とにかく現場が好き、フィールドワークが好き、複雑に絡み合った総体がどうなっているのか、その細部まで調べ上げて全貌をつかむのが楽しくてしょうがない。そういう藤本さんだからこそできた仕事が『生産システムの進化論』である。