多能工もジャストインタイムも「仕方ない」から生まれた
本書には事後的合理性という視点に固有の面白い議論が満載されている。その真骨頂が「環境制約:歴史的拘束条件と『怪我の功名』」のセクションだ。トヨタが置かれていた歴史的な拘束条件や制約条件が結果的にトヨタ生産システムを生み出したのであって、「先見の明」のある偉人が事前合理性で設計したものではない。世界に冠たるトヨタ生産システムも、その発生史をつぶさに眺めると、「怪我の功名」という面が多分にある。
たとえば、トヨタ生産システムの重要な要素である「多能工」。なぜトヨタは多能工を育成したのか。初期のトヨタが置かれていた苦しい状態の中では、1人の作業者が多工程を受け持たざるを得ず、これが結果的に多能工を育て、使いこなすシステムとして定着した。
1950年代から70年代の日本では経済が急成長していた。しかし労働力のインプットには量的な制約がある。インプットの制約の下でアウトプットを急速に拡大していかなければならない。これが当時のトヨタが直面した命題だった。当時のトヨタは「強いられた成長」状態にあり、生産現場は恒常的に「猫の手も借りたい」状況だった。トヨタにしても、当初は欧米量産企業のように分業した職務区分を工場に導入したかった。しかし、それではどうにもならない。結果として分業的制度の導入が抑制され、むしろ多能工の多工程持ちによる少人化でやっていかざるを得なかった。
ところが、やってみると事後的にそうした組織ルーティンのよいところが徐々に分かり(事後合理性)、それがシステムとして定着した。はじめから多能工がよさそうだからやってみようという考えがあって導入したわけではない。とにかく忙しいものだから、仕方なくそうせざるを得なかった、と言った方が正しい。しかし、これが怪我の功名としてのちにトヨタ生産システムの重要な要素となる多能工を生んだのだ。
人的資源だけではない。この頃のトヨタには資本も不足していた。新規の設備投資をする資金的な余裕がない。とにかく古い設備を最大限活用して、増産するしかなかった。だから手持ちの機械や設備に改善を加えるなどして、工夫しながら生産性を確保するという手が取られた。後に国際語にまでなる「カイゼン」にしても、やむを得ない事情のなかから創発的プロセスによって生まれ、定着した怪我の功名だった。
トヨタの内部だけでなく、当時の日本には外的な制約もあった。たとえば市場規模。アメリカでは、自動車メーカーが単一車種を何十万台と生産してもたちどころに売れる市場環境が整備されていた。しかし、まだ所得水準も低く、道路も整備されていなかった日本では、自動車市場は相対的に小さかった。しかも日本では、自動車産業立ち上げの段階から、いきなり細分化されたニーズに対応するためのモデル多様化を強いられた。当時の市場の制約からして、フォード式の少品種大量生産の導入はやりたくてもできない。そこから平準化、限量生産、段取替時間圧縮、小ロット生産、混流生産といった一連の手法が創発的に生まれてきた。
「怪我の功名」型の創発プロセスとしていちばん面白いのが、なんといってもジャストインタイムとそれを支えるカンバン方式だ。トヨタ生産システムの代名詞ともいえるジャストインタイムにしても、実際のところは「不完全な技術移転」がきっかけとなった怪我の功名だった。
ありとあらゆる制約に縛られていたトヨタにしてみれば、生産プロセスからいかにムダを取り除くのか、これが当初から最大の問題意識だった。「ムダ取り」という観点からすれば、原材料から最終製品までがベルトコンベアラインで全部つながった「自動車生産コンビナート」のような生産方式が究極の理想になる。
そう考えたトヨタは、1950年代にアメリカの自動車工場に繰り返し見学に行く。結論としては、当時最先端といわれていたフォードのリバー・ルージュ工場が自分たちの理想に最も近かった。ところが1950年代のトヨタにとってみれば、生産量の少なさ、品種変動の激しさから、巨大な設備投資とコンベア方式で工程のインターフェイスがかっちりと固定された生産方式は導入のしようがなかった。とりあえずは変化する需要に対応できる柔軟性を最優先しなくてはならなかった。
そこで次善の策として出てきたのが、後工程の生産順序に従って、前工程が部品を生産・供給する「順序供給方式」だった。後工程が必要とする数量だけを前工程で生産して、一定量を順次納入する。つまり「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」という発想である。のちに一世を風靡するカンバン方式が生まれた瞬間だった。
物理的に完全に連結したコンベアはではないが、コンテナとカンバンの循環による「見えないコンベア」で本物のコンベアを代替しようというアプローチだ。ただ、実際にコンベアで同期化しているわけではないので、どうしても一定の在庫の発生と、仕掛品の滞留が避けられない。だから、その意味では、トヨタの生産ラインは不完全な同期化にとどまった不完全なコンベア・ラインだった。要するに、フォードの技術を不完全なかたちで移転したものがカンバン方式だといえる。
皮肉なことに、当のフォードのリバー・ルージュ工場はモデルチェンジにうまく対応できなかった。完全な同期化を追求したためにフレキシビリティを失ってしまったからだ。カンバン方式の生みの親の技術者であり、元トヨタ自動車副社長の大野耐一は、その理由を「最終組み立てラインのスムーズな流れに比べ、その他の工程の流れがつくり上げてこられなかった」こと、「むしろ流れをせきとめるような、ロットをできるだけ大きくしてつくるやり方が、定着してしまった」ことに求めている。
つまり、フォードは「完全な同期化を不徹底なかたちで導入」し、それに対して、トヨタは「不完全な同期化を徹底したかたちで導入」した、という対比が浮かび上がってくる。ここが非常に面白いところだ。結果として、「不完全を徹底した」ほうが、システムの応用範囲を広げることになり、長期的な競争力を獲得できる。「そこまで読んでトヨタが意図的に不完全な同期化を採用したとすれば驚異的だが、そうではなく、やはり怪我の功名と理解するほうが自然だろう」というのが藤本さんの見解だ。