大手町一丁目の三井物産本社ビルになぜオアシスが?

今年の夏は過去に経験したことのない、異常な暑さであった。温室効果ガスの排出に伴う温暖化や、都市化によるヒートアイランド現象など、複合的な要因が考えられる。地球温暖化防止には、エネルギーの抑制とともに森林の再生が効果的だ。そこで近年、日本の仏教や神道の考え方が見直されてきている。本稿では「エコロジーと宗教」の関係について述べていく。

気象庁はこのほど、6月から8月までの平均気温が統計開始から125年間で過去最高を更新したと発表した。温暖化が影響した大規模な山林火災や水害も各地で発生するなど、予断を許さない。近代以降、「科学万能」を標榜し、自然をコントロールできると錯覚してきたツケが、われわれに回ってきたのかもしれない。

「自然」という言葉の、本来の意味をご存じだろうか。

一般的には「人工」と対比する言葉として使われることが多い。つまり、われわれ人間を取り巻く外部環境――山や川、海などの人為の加わらない空間、あるいは雨や風などの気象現象、動植物などの生物――が、おおまかな「自然」の概念だ。英語で書けば、ネイチャー(nature)となる。

だが、「自然」という言葉は本来、仏教用語として使われてきた。この場合は「じねん」と読み、「おのずとそうなる」「本来、そうであること」「あるがまま」などの意味を包含する。

例えばスポーツや武術において「自然体でのぞむ」という表現がしばしば用いられる。これは「自我で、どうにかしようという考えを捨て、あるがままに身を委ねる」というニュアンスであり、仏教語としての使い方といえる。「自然(じねん)」は、人間を取り巻く外部環境という位置づけの「ネイチャー」とは異なる意味であり、「内なる心の働き」のことを指す。

この「あるがまま」を目指す仏教のありようが、温暖化抑制に一役買ってきた側面がある。

読者の皆さんが住む地域にある寺や神社。実はこれらもそれに含まれる。都会を歩いていると、街の中にこんもりとした森を見かけることがある。その森の中に入ってみると、時に寺や神社などの宗教施設を見つけることができるだろう。

都会では、せいぜい半世紀ほどの短いスパンで建てては壊し、また建てて……という再開発が繰り返されている。他方で、土地に根差した寺や神社などの「鎮守の杜」は、何百年単位での空間が維持されている。

そうした存在は千代田区にもある。同区大手町の再開発における三井物産本社ビル建て替え工事の際には、平将門を祀った「将門塚」が壊されることなく保全された。事業者は将門の祟りを畏れ、解体や移転をしなかったのだ。その結果、高層の近代ビル群の合間に、都会のオアシスとなる緑地が存在し、ビジネスパーソンの憩いの場所にもなっている。

将門塚(=2022年10月20日、東京都千代田区)
写真=時事通信フォト
将門塚(=2022年10月20日、東京都千代田区)