児童養護施設はどのような役割を果たしているのだろうか。元福岡県警少年育成指導官の堀井智帆さんは「家庭ではろくに食事を与えられなかった少年少女が、児童養護施設で暖かい食事に触れ、その後の人生が変わったケースもある。社会が見捨てずに関わることが重要だ」という――。
※本稿は、堀井智帆『非行少年たちの神様』(青灯社)の一部を再編集したものです。
アルトリコーダーで腹部を思いっきり殴られた
長い間、この業界で仕事をしていると、不思議な縁で子どもに再会することもあります。
私は、最初に働いていた児童養護施設で、とっても手のかかる小学校5年生の女の子を担当していました。
たぶんその施設の中でも、出来れば担当したくない子ランキング(そんなものはありませんが)ぶっちぎりの第1位だろうと思えるような子でした。
担当発表の時に、私の担当の中にこの子の名前があったときには、1年間大変な年になりそうだと目がくらむ思いでした。
その子のことを、ここでは美和と呼びます。やせ型の、身体の小さい女の子でしたが、気に入らないことがあると暴れます。そこらへんにある物を手当たり次第に投げ飛ばしたり、引きちぎったり、殴ったり壊したりして、私がそれを必死で押さえながら阻止していると、アルトリコーダーで腹部を思いっきり殴られて息ができなくなりました。
「お父さんが7人おるんよ」
はたまた、暴れないで大人しいと思ったら、逆に自分の部屋や、私の車に何時間も籠城して出てこなくなります。それが4、5時間は平気で続くので、その子にかかりっきりになり、担当している他の子たちからは、「あの子ばっかり」という不満が大噴出です。
みんな自分に関わってほしい子たちばかりですから。
美和の生い立ちがどんなものかというと、彼女は私と出会うまでの間にお父さんが7人いました。
大学を卒業したばかりの私に美和は、「先生何人お父さんおる? 私はね、今までにお父さんが7人おるんよ」と語りかけます。
何番目のお父さんは優しかったけど、何番目のお父さんは暴力をふるう人だったから嫌い、と、こうして話は続いていきます。