常務取締役兼調布工場長の加藤木隆は製造だけでなく、衛生面での改善提案も積極的に行い、徐々に頭角を現していく。
成長する市場には、必ず後発組が参入する。82年に、他の飲料メーカーが、焼酎を割るためのフルーツ風味の商品を売り出す。これが飲みやすく、若い女性の支持も受けた。ホッピーは苦戦を強いられるようになる。
市場を侵食された理由には、大量生産に追われ、知らず知らず味が落ちていたことがあった。そのためホッピーの品質向上も積極的に行われた。秀から社長を譲り受けていた石渡光一が乾坤一擲の設備投資を行う。さらに、大手ビールメーカーにもひけを取らない本格的な製造設備を取り入れるとともに、大手ビール会社のOBを技術顧問として招聘した。
すでに、工場の中心メンバーになっていた加藤木は「私から見れば、雲の上の人でした。でも、何より心強かったのは、その人と私の志と製品へのこだわりが同じ方向を向いていたこと。商品の見直しをすることで、意見が一致したんです」と、そのときの心境を述べる。
顧問の鋭い眼は、使っていた酵母の劣化を見抜く。すぐにドイツから低アルコールに適した酵母を入手した。新しい酵母で醸造したホッピーを最初に飲んだ光一は一言「うん、うまい!」と叫んだという。その後、ホップもアメリカ産に切り替え、味わいはさらにアップした。
前述の通り、ホッピービバレッジの売り上げは、ここ8年で約4倍、と勢いがある。終戦直後が第一次、80年前後を第二次とすると、ここ数年がホッピーの第三次ブームということができよう。3度のブームを石渡家三代のそれぞれが担ったことになる。
販売方法も、直販から大手の卸業者を介するようになった。その一翼を担うのが大手食品卸の国分である。同社のホッピービバレッジ製品の取扱量は、現在金額ベースで年間約9億円にのぼる。ここ数年は、毎年約20%の伸びを続けており、このうちホッピーは7割を超える。
国分酒類統括部副部長の東野聡は、ホッピーは東京の飲み物だと断言する。同社の取り扱い実績でも首都圏が6割を占める。浅草、新橋から、やがてサラリーマンのたまり場である神田、池袋、錦糸町といったエリアの繁華街に広がっていった。取扱店が増えて、そこでの消費量も増えていることが、ホッピーが好調を維持している要因と分析する。
「消費量が増えているのは、従来の中高年固定客が浮気をしていないことに加え、女性や若者など幅広い層に浸透してきているからです。また、浅草のような観光地に足を運ぶと、昼間から外国の人たちがホッピーのジョッキを傾けている姿も珍しくない。もはや、老若男女に愛される、居酒屋メニューの定番といってさしつかえありません」
同社食品統括部チームリーダーである谷本謙太の見方もユニークだ。いまホッピーの伸びを牽引しているのは業務用だという。不景気でサラリーマンが家で飲むようになっているなかで、たまの“外飲み”では価格の安さに訴求力がありホッピーは強い。しかも、ヘルシーとなれば“鬼に金棒”と説明する。
「いま、市場で伸びている飲料のキーワードに“ゼロ”が挙げられます。コーヒーなら糖分、ビールではアルコールといった具合ですね。さらにプリン体カットということもありますが、まさにホッピーがその典型です」(文中敬称略)
※肩書きなどすべて雑誌掲載当時