たがいに思い浮かべる回数を減らす

一度、我々の人間関係を「心の距離」で見てみよう。各々の人とは物理的距離と同じく、心の距離がある。そう思って知りあいとの距離を考えてみれば、それらは決して同じではない。ほとんど会わない人でも、SNSで毎日写真を見ていれば距離は近く感じる。

その心の距離を調節することで、人間関係を楽にするのだ。

心の距離は、思い浮かべる時間や回数と密接な関係がある。嫌な相手に何か思い切って伝えれば、双方の心に強く焼きつくので、心の距離はむしろ近づいてしまう。

そもそも、嫌な相手のことが頭に強く浮かぶだけでも苦痛だが、同じことが相手の頭のなかでも起きる。その時間が長引けば、それがさらなる攻撃につながるのだ。

相手から離れたいと思うなら、双方の頭に浮かばないように少しずつ離れていき、気がついたらすっかり疎遠になっているのが一番いいのだ。

これなら気の強さは必要ない。人とぶつかりたくないあなたにも、十分できることだ。

思っていることはむしろ、相手に伝えてはいけないのだ。

突然無視をしたりするとハッキリと伝わってしまうので、挨拶や返事はしておく。けれども、「そうそう、こういうこともあるよね」などと、弾んだ話し方をしたり、こちらから話題を広げたりしない。なるべく短めに話を切り上げる。

SNSでは、いいねなどはなるべく押さない。コメントを返す場合もすぐにはやらない。

我々が日頃やっている応答のしかたは、近づきたい相手のためのものなのだ。もちろんほとんどの相手にはそれでいい。

けれども離れたい相手にまでそれはしなくていい。

それはずるいなどという心の声が聞こえてきそうだが、あなたは、その人と知り合った日から、十分誠実に対応をしてきたのではなかったか?それにもかかわらず、もう離れたいと思ったのならもういいではないか。

距離を置くというささやかな自衛策くらい、使ってはいけないはずがない。人はそうやって自分を守る必要があるのだ。

もちろん相手が攻撃を続けるなら、勇気を出して直接伝えるしかない。しかしそれは仕方なくやることで、まっ先に薦めるような選択肢ではない。

「本音をぶつけあうのが本物の友だち」という幻想

心の底で思っていることを、相手に直接伝える。どうしてそんな危ういことが、ここまで奨励されてきたのだろう。

鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)
鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)

自分がまだ子どもだった昭和の頃は、とにかく腹を割って話すことが大事だと思われていた。一度大げんかをしなければ、本当の友逹にはなれないという空気があった。

マンガやアニメでも取っ組みあいをした二人の少年が、疲れてきて何かのきっかけで大笑いし、仲直りをして友情を深めるというシーンがよく描かれたものだ。

けんかをしている時に、普段は言わないたがいの嫌なところを言い合うからだろう。本音をぶつけあって、一切の隠し事をなくしてこそ人間関係は本物という、暑苦しい幻想があった。それに縛られてきたのだ。

実際にはけんかをすれば、それっきりでお別れになることのほうが多い。その時に言われたことがいつまでも心に残り、その相手とは仲良くできなくなるものだ。

人と人は心がぶつかりあうほどうまくいく。人間の本性は素晴らしい。――こんな甘い認識がもっと深いところで、こうした幻想を支えていただろう。

心の距離を置く技術は、今SNSで不可欠なものになっている。相手の発言を見えないようにする“ミュート”などはそのための機能だ。今後はリアルな人間関係にも、こうした常識がますます浸透していくだろう。

※1 マズローは二十世紀半ばから後半に活躍したアメリカの心理学者。

【関連記事】
「悲しみの深さ」は関係ない…大切な人を失った後に「うつになる人」と「ならない人」のたったひとつの違い
「オレを障害者扱いするのか!」医師や家族に激高したIQ145のエリート船長が夜間警備の仕事に就くまで
これをするだけで連休明けに気分が沈まなくなる…外資系産業医が教える"五月病"を回避する画期的な方法
「みんな仲良し」を目指すべきではない…日本の学校の「集団生活」がイジメを生んでしまう根本原因
彼はぜんぜん幸せじゃなかったと思う…スター団員の元妻が語る「サーカスで生まれ育った人」の人生