なぜヤクザは刺青を彫るのか。元山口組系「義竜会」会長で、現在は暴力団員の更生を支援するNPO法人代表の竹垣悟さんは「親からもらった身体を汚すことでカタギの世界と縁を切り、もう戻らないという決意表明といわれる。ただ、入れたところで何もいいことはない」という――。

※本稿は、竹垣悟『懲役ぶっちゃけ話』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

うつぶせに横たわる背中に入れ墨のある男性
写真=iStock.com/Aleksandar Jankovic
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激痛が走っても、ヤクザが刺青を彫る理由

刺青は「針地獄」といわれる。やくざの世界では「ガマン」ともいう。針を刺して墨を注入していくのだから、突くたびに激痛が走る。

突くのは1回につき2、3時間くらいで、頑張ってやっても週に2回がせいぜいだろう。人によっては突いた翌日に熱を出して寝込むこともある。

やくざが刺青を彫る理由は、親からもらった身体を汚すことでカタギの世界と縁を切り、もう戻らないという決意の表明であるといわれる。一種のヒロイズムだが、入れたところで何もいいことはなく、刑務所に入ったときに立派な彫り物であれば自慢できることくらいだろう。

もっとも、それは私がカタギになってから思うことで、立派な刺青はやくざの自慢である。だから入浴時の風呂場は刺青自慢の見本市となる。

龍の鱗に思わずうなった

私がこれまで見た刺青で印象に残っているのは橋本弘文(元極心連合会長)と、松野順一の2人だ。橋本は私が初入した神戸刑務所で一緒だった。私と同じ洋裁工場だったが、作業態度はとても真面目で、黙々とミシンを踏み、合羽を縫っていた。

男の器量というのはダイヤモンドと同じで、草むらに転がっていても輝いている。当時、橋本は初代山健組の若い衆にすぎなかったが、竹中組の幹部連中と比べてオーラがあり、刑務所内でも若い衆を3人くらい連れていた。

のちに橋本は三代目山健組の若頭となり、六代目山口組で直参に昇格。若頭補佐、その後は統括委員長に抜擢される。髙山清司・六代目山口組若頭が収監された当時、山口組の実務面を取り仕切った。

橋本が背中に彫った刺青は刀に蛇が巻きついたものだ。色彩、構図、そして不気味で意表を突く絵柄は目を引いた。しばらくして橋本の姿を見なくなる。京都のほうでチャカの実包が出て、余罪で引き戻されたということだった。

無口で全般的に真面目な人であったが、全身から放つオーラは刺青の強烈さとあいまって印象に残るやくざのひとりだった。

松野組長は観音さまと龍を背負っている。当時、日本一といわれた名古屋の彫光が2代にわたって彫ったものだ。初代が観音さま、2代目が龍で、その美しさには目を見張った。

たとえば龍など私たちの刺青であればウロコが黒い色をしているが、松野組長のそれは薄ぼかしでグラデーションになっていて、思わずうなるほどだった。