2011年3月、遺された母親を襲った津波
父親を失った母親は、しばらくは寂しそうな様子で落ち込んでいたが、1週間ほどすると、再び保健師の仕事に復帰。
70歳の頃、母親は右下腹部に痛みがあり、病院を受診すると、盲腸だった。ところが、もともと頑張りすぎてしまうきらいのある母親は、盲腸の痛みも我慢しすぎてしまったのだろうか。医師が言うには、手術を受けるのが少し遅かったらしく、以降、大腸の不調に悩まされることになる。73歳の頃には大腸破裂になり、一時的に人工肛門に。この後、何度も母親は、腸閉塞を繰り返す。
手術後、半年ほど母親は、犬山さんの家で過ごした。
この頃、犬山さんの4歳下の妹は、高校卒業後、一度は地元を離れて暮らしていたが戻ってきて、自分で飲食店を営み、犬山さんの家から歩いて5分ほどのところで暮らしていた。6歳下の弟は地元で運送業に就き、結婚して2児の父になっていた。
犬山さんと妹は、ときおり母親の様子を見に行っては、実家の片付けや掃除を手伝い、母親は定期的に犬山さんの家に泊まりに来ていた。
そして2011年3月11日。この日、81歳の母親は、朝からなじみの商店に買い物に行っていた。そのときあの巨大地震に襲われた。帰りを心配した商店の店主に車で自宅まで送ってもらい、家の前で降ろされたところで、近所の人に「一緒に避難しよう」と誘われ、車で避難所に向かったため助かった。
「震災後、実家は跡形もなくなっていました。もしも母が実家に一人でいたら、家具などが倒れて外に出られず、津波に流されて助からなかったでしょう」
このとき58歳の犬山さん自身は仕事中だったため、社員と共に高台に避難。途中で妹と会い、無事を確認。母親とは5日後に、弟とは1週間後に連絡が取れた。犬山さんのマンションは4階だったため、津波の被害は免れた。