銀座の高級クラブ「クラブ由美」のオーナー・伊藤由美さんは、18歳のときに夜の銀座で働きはじめ、23歳で独立した。伊藤さんは「私が45年間、夜の銀座で生き残ることができたのは、恩師である『くらぶ宮田』の大沢汎子ママの教えのおかげだと思う」という――。(第3回)

※本稿は、伊藤由美『銀座のママに「ビジネス哲学」を聞いてみたら』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

日本の銀座東京街路灯の美しいショット
写真=iStock.com/Wirestock
※写真はイメージです

「どうしてもあの子が欲しい」と声をかけてくれた汎子ママ

みなさんには、仕事や人生において「自分の目標にできる人」がいますか。

夢の実現や目標の達成を目指すときに、自分が思い描く成功を現実的に経験している「目標となる人、憧れの人=ロールモデル」がいると、チャレンジへのモチベーションも格段にアップするものです。私にも目標としてきた人がいました。

その人は名門クラブ『くらぶ宮田』の大沢汎子ひろこママ、私の銀座人生の恩師です。18歳で単身銀座に出た私は、当初は『紅い花』で働いていたのですが、3カ月ほどで同じビルにある『くらぶ宮田』に移ることになりました。そのときに私を引き抜いてくださったのがチーママをしていた汎子ママだったのです。

当時、入店したばかりの『紅い花』で奮闘していた私は、お客さまから少しずつご指名をいただき、ご贔屓いただけるようになっていました。そんな私の姿を目にした汎子ママが、「どうしてもウチの店にあの子が欲しい」と言ってくださったのです。

ただ、夜のクラブも義理や仁義の世界。他店からホステスを引き抜くのには果たさなければいけない“筋”があります。そのため当時、私の引き抜きを巡っては、両方のお店同士でちょっとした騒動になってしまいました。最終的に、汎子ママが独立して『くらぶ宮田』を離れて自分の店を持ち、私はそこについていくという形で筋を通して決着しました。