※本稿は、鈴木直道『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
炭鉱の閉山によって、少子高齢化が急速に進んだ
北海道のほぼ中央に位置する夕張市は、明治時代から「炭鉱のまち」として栄えてきました。
当時、石炭事業は国の基幹産業で、「黒いダイヤ」と呼ばれる良質の石炭が採れる夕張には、国策として多大な資金や資材が投入されました。戦後も石炭エネルギーの供給基地として発展を続け、1960年代の最盛期には12万人近くの人口を擁していました。当時の写真を見ると、まるで東京の渋谷か原宿のように商店街には人が溢れています。
炭鉱の住宅、電気、ガス、水道、病院などの生活インフラは民間の炭鉱会社が運営し、しかも利用料は無料。身一つで夕張へ来てもお金を稼げる仕組みが整っていたのです。
しかしその後、国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換。炭鉱は相次いで閉山に追い込まれ、職を失った人たちは次々と夕張を去りました。石炭産業以外の産業基盤が乏しかったため、働き手である若者の転出は顕著で、少子高齢化が急速に進んでいきました。
大型リゾート開発に乗り出すが、市の財政は破綻
市は、残された炭鉱住宅や病院、上下水道設備などを買い取るために、1979年から15年間で約584億円を投入し、332億円もの地方債を発行せざるを得なくなりました。
逼迫した財政を立て直すため、「炭鉱から観光へ」の旗印を掲げて大型リゾート開発に乗り出したものの、過大投資と第三セクターによる放漫経営がたたり、ついに市の財政は破綻。2007年、353億円という巨額の赤字を抱え、財政再建団体となるに至ったのです。
最盛期に12万人近くだった人口は、私が東京都から派遣された頃には1万人台を割り込むのが目前に迫り、さらに減り続けていました。働き盛りの市の職員も、次々と夕張から去っていきました。「生まれ育った夕張で仕事を続けたいが、このままではとても生活できない」と嘆きながら。
財政破綻後、市職員の給与は年収ベースで平均4割カットされ、市が借金を返し終わるまで、それが続くことになっていました。進学を控えた子どもや住宅ローンを抱える職員は、人生設計の変更を余儀なくされ、後ろ髪をひかれる思いで故郷を離れていったのです。