マイナス5度の室内で、職員は夜遅くまで働いていた

初めて夕張市役所に出勤した日のことです。

私は、机の上の書類を確認してはパソコンに入力する作業を繰り返しながら、「初日だし、歓迎会でも開いてくれるのかな」と、のんきに考えていました。

しかし、そんな気配はまったくないまま、退勤時刻の午後5時になりました。

同時に、それまで聞こえていた暖房の音が止まりました。すると皆は突然立ち上がり、スキーウエアやベンチコートを着込み、指先の自由が利く手袋をはめると、またパソコンに向かいます。誰一人、帰ろうとする人はありません。

そのうちに、館内は急速に冷え込んできました。冬の夕張の夜は外気温がマイナス20度近くになることもあり、室内でも暖房がないとマイナス5度程度になります。私もスーツの上にコートをはおり、厚手の手袋をして仕事を続けましたが、それでは満足にキーボードを打てない。手袋を取ると、あまりの寒さで指が動かない。ついに夜10時過ぎに限界になりました。

「すみません、今日は初日ですし、お先に失礼させていただきます」と挨拶して家路につき、翌日からはしっかり厚着をして出勤するようになりました。

夕張市役所(北海道夕張市)(写真=PD-self/Wikimedia Commons)
夕張市役所(北海道夕張市)(写真=PD-self/Wikimedia Commons

残業しても暮らしていくのがやっとの給料しかもらえない

この一件で私は、市役所が経費削減のために冬でも午後5時に全館の暖房を切っていること、職員は皆そこで夜遅くまで働いていることを知りました。しかし、それは財政破綻による影響のほんの一端に過ぎないことを、最初の給料日に痛感したのです。

その日、所用から戻ると、机の上に給与明細が置かれていました。私の給料は東京都から出るので、夕張市の給与明細が配られるはずはなく、「あれ? おかしいな」と思って開けてみると、それは同じセクションにいる同年代の男性職員のものでした。

「あっ!」と思ったときには、記された金額が目に入っていました。

その額は、私が東京都からもらっている給料より何万円も少なかった。あれだけ残業しているのに、彼は暮らしていくのがやっとの給料しかもらっていないのです。

職員の給与が大幅に削減されたことは、もちろん知っていました。しかし、一緒に働いている仲間が置かれている状況を、具体的な数字として目の当たりにしたショックは大きく、財政破綻の意味を初めて現実のものとして認識させられたのです。