この方は「仏タイプ」でありながら、厳しいときはたいへん厳しい。「俺はおまえにこんなことを期待していると言ったか?」「こんなに期待しているのに、俺は残念でしょうがない」などと、それこそ血相を変えて、涙を浮かべながら叱るのだ。
だが、それは“罰を与える”という叱り方とは明らかに違っていた。そんな彼の姿を目の当たりにすると、なぜか部下は頑張ってしまう。「この人の期待に応える自分にならなければ」と思わせるのである。当人は激しく叱責しているつもりなのだが、部下は「叱られている」というより「励まされている」という感覚になっていく。
おそらく彼は、当初は「チームリーダーとしての自分」という役を演じていたのだと思う。そして、そのうち演じている自分と元の自分の区別がつかなくなり、いつのまにかそういう人物になった。
欠点のない人などどこにもいない。「自分には他人を叱る資格があるのか」などと逡巡していては、いつまでたっても他人を叱ることはできない。ときには「上司としての自分」を演じ切る覚悟も必要なのだ、とあらためて思う。
今回の調査で「叱られてやる気が出たケースは?」という質問に対する回答の中に、とりわけ印象的なものがあった。30代前半、研究職の女性の回答だ。
「叱られたが、最後に『同じ間違いだけしなければいいから思いっきりやれ!失敗したときに責任をとるのが上司の仕事だから』と言われたとき」
これこそがおそらく“理想の叱り”である。最高のチームとは、そんな叱り方ができる上司の下でこそかたちづくられるのだろう。
※すべて雑誌掲載当時
(構成=梅澤 聡 撮影=宇佐見利明)