今より労働時間が長かった昭和に「社畜」という言葉はなかった

脱社畜を論じるためにも、まず社畜という言葉が登場した時代背景を考察します。

社畜という言葉は、多くの場合「長時間労働」とセットで語られます。ときに、「サービス残業」というニュアンスも含まれます。

では長時間労働は現代だけに起きたことでしょうか。いいえ、昭和30~60年代頃の経済成長期も長時間労働です。むしろその頃は現代よりも労働時間が多かったと言えます。

残業は当たり前、そもそも週休2日制ではなく、土曜も午前中は勤務することが一般的でした。

しかし当時、社畜などという否定的なワードが広がった形跡は見当たりません。むしろ好意的にとらえていた節さえあります。当時有名だったCMでは、軽快な音楽とともに、威風堂々とスーツ姿に身をまとった男性が元気はつらつと「24時間戦えますか」と歌っていました。動画投稿サイトのコメントには、「この時代なら24時間はたらける」というものもありました。現代で同じCMを流すと、多くの人が違和感を感じることは想像に難くありません。時代背景が異なるのです。

では当時の経済成長期と現代で、なにが異なるのでしょうか。

「今日より明日は必ず良くなる」と思えた時代

経済成長期は、与えられた仕事をこなしていれば、いずれ昇進や昇給が約束され、終身雇用、年功序列が機能していました。「労働時間が長い=利益・給料がアップ、モノの豊かさも手に入る」が成り立ちやすかったと言えます。

なぜなら、人口は増え、国として成長期だったからです。

街に飛び込む日本人男性ビジネスマン
写真=iStock.com/mapo
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成長期は物質的に貧しいため生活向上に燃え、ハングリーさや労働意欲が高まります。人口が増えれば需要も増えるので、働けば働くほど、商品をつくればつくるほど、売れました。売上が伸び、会社の利益や社員の給料も右肩上がりでした。

一般家庭に車や家電が普及し、目に見えて豊かになる実感も持てました。会社に尽くし、長時間労働をしても、それに見合うものを得やすく、「自分が部長になる頃には、いま部長が得ている給料より多くなるだろう」という希望すら持ちやすかった時代です。

社会全体として経済成長が実感できる時代でした。近年の中国がまさにそういった成長期でした。私が留学や仕事で関わってきた中国の人々は、まさに「今日より明日、明日より明後日がよくなる」と確信し、社会に活気が満ちていました。