親の「どうせ…」という考えが子供の可能性を奪う

経済的な環境以上に見逃せないことが、人的環境です。

親や先生たちに応援されて大事に育ててこられたか、お手本となる先輩たちに囲まれて切磋琢磨してきたかという、ここのデータにはない「環境」も、子どもたちの将来を決める重要なファクター(要因)となります。

親として環境をいかに整備するか、それが子どもたちの将来に大きな影響を与えます。

子どもたちがチャレンジしたいのに、親自身の学歴や、世帯での年収を言い訳に、わが子のやる気や才能の芽をつぶすなんてもってのほかです。親こそ先入観を捨てないとなりません。

まずは、親が「どうせ……」というレッテルをはがすことです。ひいては、それが子どもたちの得意技やアイデンティティを獲得する第一歩につながります。

推薦枠のある私立大学とは異なり、東大に関しては皆が横並びで一斉に試験を受け、突破した者たちが入学します。いわば、チャンスが平等に用意されているわけです。

親として、子どもの可能性をつぶさず、伸ばす。そして、わが子にどんな「人的環境」を用意すればよいのかについて目を向けてください。

子供のポテンシャルは溜めることができる

先にも登場した、親御さんの声に、

「東大っていっても、どうせ結局、生まれつき頭のいい人の話ですよね……」
「私には学歴がないですし、どうせうちの子も……」

というものがありました。生まれつきの才能や遺伝についての不安があるのでしょう。ここでは、そのレッテルをはがしてまいりましょう。

まず、世間一般に思われている才能(遺伝・生まれつきのもの)と、良く似た意味で使われるポテンシャル(潜在力・可能性)について整理します。

じつは、才能・ポテンシャルともに先天的・後天的の両面があります。しかし、やや専門的となるので、本書では、「才能=先天的なもの」「ポテンシャル=後天的なもの」と定義します。

ここでお伝えしたいのは、「ポテンシャル=後天的なもの」についてです。

物理学では、ポテンシャルとは外部に対して働きかけるために蓄えられたエネルギーのことと言われています。それだけに、「ポテンシャルが溜まる」という考え方があります。

たとえば、バネを例にすると、バネはそのままだと何のパワーも発揮しないですし、仕事をしません。バネは、縮めて力を溜めて離した瞬間、初めてパワーを発揮します。

このバネを縮めている段階を、ポテンシャルが溜まると言います。

人間の生まれ持った先天的な才能をバネの強さや長さとすれば、それに力を加えてどのくらい縮めていくのか、そのとき溜まるエネルギーがポテンシャルです。いくらいいバネを持っていても、力を加えない(溜めない)限り、役に立ちません。

才能は先天的なものですが、ポテンシャルは後天的なものだけに、教育などの環境を整備することで溜めることができます。