家康の墓

その家康の墓所の所在地は、多くの方がご存知だろう。日光東照宮である。実は神社の境内に墓が造られること自体が、とても珍しい。武将の墓であれば、通常は仏式の戒名が付けられて菩提ぼだい寺に祀られる。家康が神社に祀られているのには理由がある。家康の臨終時に時間を遡りたい。

家康は臨終を前にして、側近の天海らを呼び寄せた。そして、こう遺言を残した。

「私の遺体は静岡の久能山に安置し、葬式を増上寺で執り行い、位牌いはいは三河の大樹寺に祀ったうえで、一周忌を済ませれば日光の輪王寺に仏堂を建てて改葬せよ。京都の金地院にも仏堂を造って、京都所司代ら武家たちに参らせよ」

遺言のように、日光東照宮はもともとあったわけではなかった。一周忌を期に、現在の日光東照宮に隣接する輪王寺の境内地に墓が建てられた。同時に、家康を神として崇めるお宮(日光東照宮)が造られたのだ。

当時は神仏習合の時代。寺と神社が共存していることが普通であった。それが明治初期の神仏分離によって、輪王寺と日光東照宮が切り分けられ、現在に至っている。

現在、家康の遺骸が埋まる墓所は、日光東照宮の最奥部にある。奥社宝塔(重要文化財)と呼ばれている。8角5段からなる基礎石の上に、青銅製の基壇と唐銅(金・銀・銅の合金)でできた高さ5メートルの宝塔が置かれている。

日光東照宮にある家康の墓
撮影=鵜飼秀徳
日光東照宮にある家康の墓

実はこの家康の墓は3代目。当初は木造でその後、石造に改められた。だが、1683(天和3)年の地震で壊れ、第5代将軍徳川綱吉によって現在の宝塔に造り替えられている。

ちなみに、3代将軍家光の墓は隣の輪王寺にある。他の将軍は、最後の将軍慶喜を除き、東京の増上寺と寛永寺に分けて祀られている。

輪王寺の家光墓所
撮影=鵜飼秀徳
輪王寺の家光墓所

家康の墓は日光東照宮にのみ存在すると思い込んでしまいがちだが、実は各地にある。死後も家康の威光を得て庇護されたいとする寺院が現れ、各地に分祀されたのだ。たとえば、高野山の徳川家霊台には家康と第2代将軍秀忠が祀られているし、京都府の圓光寺や、愛知県岡崎の大樹寺、大阪府堺市の南宗寺、福岡県久留米市の善導寺などにも墓所がある。

善導寺の墓の下には家康が愛用した甲冑かっちゅうが納められているという話も残る。いずれの家康の墓も、徳川幕府の祖らしく、豪壮な墓である。

福岡・久留米にある善導寺の家康の墓
撮影=鵜飼秀徳
福岡・久留米にある善導寺の家康の墓