宗教リテラシーが「世界最低水準」といわれる日本。宗教にたいする知識や理解が著しく低いのはなぜか。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「先の戦争では国家と宗教が一体化。多くの犠牲を生んだ反省に立って政教分離が実現したのはよいが、思考停止になってしまって、基礎知識や日本人の宗教性、死生観などを公教育で学ぶ場がないのが問題だ」という――。
HEAVENと書かれた看板
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「極楽」「浄土」「天国」の違いを説明できない日本人

日本人は、宗教リテラシーが「世界最低水準」であることが、よくいわれる。その大きな要素に戦後の日本が、公教育から宗教を排除してきたことがある。その結果、低下した。仏教や神道にたいする基本的知識すら、多くの日本人で失われてきているのが実情だ。

政治家やマスメディアの、宗教にたいする関心も低い。旧統一教会問題が生じたのも、社会全体の宗教に対するリテラシーのなさがあるようにも思う。今後、日本が真の共生社会を目指すためには、宗教にたいする学びと理解が欠かせない。

本連載の記事「国民の涙を誘った“菅前首相の弔辞”に異議ありな人々の納得の理由」(2022年10月15日配信)でも触れたが、昨秋に執り行われた安倍晋三元首相の国葬でのシーンが象徴的だった。

菅義偉元首相は弔辞で「天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか」と述べた。

このフレーズに違和感を覚えた人は、ほとんどいなかったに違いない。安倍氏は浄土宗寺院の檀家だんかであり、よって密葬を増上寺で行っている。仏教では死後世界を「浄土」「極楽」などと呼ぶ。「天(国)に召される」は、キリスト教徒やイスラム教徒に対する用語である。

死後世界の表現で「天国」が、一般化していることはわからぬではない。しかし、国葬の場で政治家が宗教用語を間違ってはまずい。多くの政治家が旧統一教会と結びついていたのも、まさに宗教リテラシーの低さが招いた結果といえる。

メディアも然りである。旧統一教会問題のような大きな事象が生じない限り、宗教記事を東京の大手メディアはほとんど扱わないし、専門の記者もいない。確かに京都には、かつて司馬遼太郎が産経新聞記者時代に所属した伝統ある記者クラブ「京都宗教記者会」がある。ただ、行政担当などと兼務する記者がほとんどだし、大手新聞社では人事異動が数年に一度あり、すぐに担当から外れてしまう。

読売新聞や朝日新聞、共同通信といった巨大メディアの記者はそれぞれ約2000人いると考えられるが、これまで私は宗教を日々追いかけ、専門にしている記者に出会ったことがない。

政治家やマスコミが宗教のことを分かっていないのだから、多くの人々の理解が及ばないのは当然だ。日本人のおよそ7割が仏教徒といわれているが、菩提ぼだい寺がどこの宗派に属するかすら知らない檀信徒は少なくない。